【特別寄稿】西田滋彦 「伊賀・忍者・地産地消の精神」(前編)
全国的にも忍者の街として知られている。
みんな電力は「顔の見えるでんき」をコンセプトにしている以上、
電力の生産者と同様に、この記事の生産者である私についても触れなくてはいけない。
私の名前(西田滋彦)の「滋」の字は滋賀県(甲賀市)が由来だ。
忍者の世界は読んで字の如く、忍びの者でなければならないのだ。
「顔のみえる忍者」として露出することを、甲賀忍者のご先祖様にこの場を借りてお詫びしたい。
顔のみえる忍者は、もはや忍者ではない。
忍者失格だ。
無論、甲賀忍者を祖先に持つ私は、伊賀に対して厳しい視線を投げかける。
忍者の本流は甲賀にあり。これを疑わずに生きてきた。
(注*現代語訳→「メール」)
昨今、目にする機会が増えた地産地消の取り組みである。
失礼、伊賀出張が始まる。
令和の時代では、ビジネススーツを身に纏うのが世間一般的にも目立たない。
なるほど、ビジネススーツを着用している私には、駅員や車掌から声をかけられることも怪しまれることもない。
この間にも改札という名の関所が存在していたが、切符という紙切れ一枚で関所が開門する。
してやったりと思いきや、私以外の令和に生きる人々も難なく関所という名の改札口をくぐり抜けている。
関所を管理する人間はいない。無人だ。
「周囲からの警戒心をいかに解くか」という忍術は、令和では必要とされないらしい。
翌朝、津駅から伊勢中川駅経由にて伊勢神戸駅で下車。
東京から〇〇分、名古屋から〇〇分、大阪から〇〇分などの告知だ。
但し、伊賀へのアクセスは決して良いとはいえない。
これに逆行するかのように、伊賀は古来より都(平城京、平安京)からアクセスが悪いことの価値を静かに主張している。
伊賀は山々に囲まれた盆地であり、人の往来が少ないことで独自の忍びの者の世界が創り出されてきた。
私は伊賀という地元で事業を営む松崎社長を目の前にして、以下の疑問に対する解を探していた。
「なぜ、様々な困難に遭いながらも、過去に稼働していた小水力発電所を再稼働させようとしたのか」
まず、主役である発電所について筆を進めなければいけない。
発電出力は199kW。
年間の発電電力量は約1,000,000/kWh(一般家庭277軒分)を想定。
標高462mの馬野川より取水し、山の中を直径50cmの丸いパイプで送水し、標高385mの発電所に至る。(総落差77m)発電後はまた元の馬野川に放流を行う。
2019年7月に稼働。
馬野川。
この発電所で電力を生み出す川の名称は世間一般的にも固有名詞を知られていない。
ここでも伊賀の忍ぶ姿が垣間見える。
関西を代表する大河の流れは、
江戸時代に伊賀に住み続けた忍者衆と、徳川家康に取り立てられて住居を伊賀から江戸に移し、立身出世を遂げた服部半蔵を想起させる。
(地元伊賀=馬野川、忍者界で有名な服部半蔵=淀川の構図)
半蔵門線が服部半蔵の人間の能力を超越した
「大人数、人運びの術」に思えてくるのが不思議だ。
当該発電所は「百年ぶりの馬野川小水力発電復活」として注目を集めている。
以下、馬野川小水力発電復活プロジェクトニュース第2号より引用する。
残念ながら、昭和33年には、火力発電等の効率的で大規模な発電所の建設が相次いだことにより廃止。
(馬野川小水力発電復活プロジェクトニュース第2号より引用)
馬野川小水力発電所の実質の発電事業者となるマツザキの社長は語る。
私の目の前の社長が三代目となる。そして、社長の隣に座っているのが三代目社長の母上だ。
水力発電所に適した場所とは、水量が豊富であり、かつ落差がある場所だ。
滝の如く落ちる水のエネルギーでファンを回し電気エネルギーに変換する。
その事実を教えてくれたのは伊賀の地元の方々だった。
松崎社長は伊賀を離れ、東京の大学を卒業し、民間企業に就職をしていた。
その社長が家業を継ぐために伊賀に戻ってきただけでは伊賀住民からの支持や理解を得るには至らなかったのかもしれない。伊賀在住は必要条件だが、十分条件ではなかったのだろう。
松崎社長が伊賀に戻った後の、社長自身の伊賀への想いと行動が伊賀住民の心を捉え、社長は伊賀住民からその事実を知ることになる。
この問いへの答えは、過去に伊賀に住み続けた先人が教えてくれていた。
FIT制度により覆い隠されがちになってしまったが、営利追求の概念を超え、再生可能エネルギーの電源開発に取り組む人がいる。
大多数の人が経済的合理性の世界を住処とする一方で、ごく稀にその世界から飛び抜けて新たな世界を創造しようとする挑戦者がいる。
その挑戦者は人類の歴史という時間軸の中で、自らの人生における確固たる存在意義を見出している。
松崎社長、そして松崎社長の母親から発せられる言葉は、まさに言霊だった。
必然と発電事業の担当者と接することが多い。
再エネ発電事業者の中で、このような言霊を聞く機会に巡り合えることは、私にとって望外の喜びだ。
世の中に価値を生産しようとする生産者の想いは尊く、果てしない。
ただ、その一端を取りあげたい(後編に続く)。
西田滋彦 みんな電力 事業本部 パワーイノベーション部
1980年千葉県柏市生まれ。立教大学社会学部でイノベーションを専攻。四輪車メーカーで「走る茶室」をコンセプトにした商品企画に携わりたいとの思いから入社。京都への出向を志願し実現するものの、いつの間にか営業ノルマに対する精神の摩耗を癒す神社仏閣(茶室)巡りに終始することになる。その後、大阪ガスグループのマーケティング会社で「新市場創造型商品コンセプト」に触れる。外資系太陽光パネルメーカーでは創業1年目より8年間国内の再生可能エネルギーの拡大に努める。
再生可能エネルギーの恩恵をより多くの関係者が享受する仕組みの構築を目指し、みんな電力株式会社に転職。イノベーションの実現こそが最大の社会貢献という信念の元、再エネ発電所の電力を中心とした価値の仕入れ、および新たな概念の価値創出の実現に取り組んでいる。
ENECT、後編は29日(月)の公開です。お楽しみに