2017.06.06
野球の野茂やイチロー、サッカーのカズや中田、本田をイメージしていただきたい。DJの世界で道なき道を切り拓いてきたDJ KRUSH。氏は、ヒップホップには”ラップ”が必要不可欠とされていた90年代、ターンテーブルのみで、それを楽器として音や姿勢、世界観を伝える技量で世界のフロアを揺らしてきた。 今日本で、かつてないほど巷を賑わす”ラップ”ミュージック。きたる6月7日(水)、氏がソロ活動25周年の節目で発表するアルバムにはOMSB、チプルソ、R-指定、Meiso、呂布カルマ、RINO LATINA Ⅱ、5lack、志人と、知ってる人には無視できないラッパーたちの名前が並ぶ。 しかも、5月27日(土)渋谷VISIONでのリリースパーティには、25日(木)のDOMMUNEに出たR-指定以外の全員が出演。「猛獣を扱うようなもの」、「どうなることやら」と笑う氏に、聞いた。
ソロ活動25周年、初のラップアルバム。
feat. アーティスト(読み五十音順) R-指定 OMSB 志人 5lack チプルソ Meiso RINO LATINA II 呂布カルマ 人は…地球は…宇宙は…どこから来てどこに行くのだろう。 過去…現在…未来…そこには一体何があるのだろう。 生の喜び…生の苦しみ…生の悲しみ…その先にあるものは? アナログの時代…テクノロジーの進化…遺伝子の組み換え… その先の未来は? DJ KRUSHの重く厚いビートの上で国内屈指のラッパーが 言葉巧みにそれぞれの”軌跡”を繰り広げる最上のコラボレーション作品!
ー25周年の節目で、キャリア初めてのラップアルバムをつくられた理由は? KRUSH 大元を辿れば、1983年に公開されたアメリカ映画『WILD STYLE』がきっかけで「音楽をやりたいな」と思って。それまで僕はチャランポランなやんちゃ小僧で、フラフラしていたんだけど、映画の影響で実際DJを始めてみて、そこそこ出来るようになると、人に見せたくなるわけですよね。 それで原宿の歩行者天国に出て、そこでMUROくんと出会った。その後、KRUSH POSSEができて、もう「日本語ラップをやっていこう」と思って、大手レコード会社にデモを当時持って行ったんだけど、上手くいかなかった。 その後、KRUSH POSSEもいろいろな事情で解散することになって、ラッパーがいなくなっちゃった。ラップアルバムをつくりたいのにつくれないまま、一人になっちゃったんです。 そんな時、ちょうどヨーロッパで僕の音楽が注目されて、それなら目線を変えて、「世界に行こう」と。ヨーロッパ行って、アメリカ行って、修行して最終的に日本に帰ってこようと。それで向こうの連中とアルバムをつくって、ツアーして、そんなこんなで世界を2、3周していたら、知らない間に25年経ってた。 その間もずっと、「日本語のラップアルバムを出したい」と思ってきたんですけどね。 ーその想いは消えなかった。 KRUSH はい。KRUSH POSSEではできなかったから。 でも、今でこそ、日本のラップシーンは、こんなに盛り上がってるけど、当時は自分のハートに入ってくる日本語のラップは数少なかった。もちろん、そんな中でもまったくやってこなかった訳ではなくて、アルバム『迷走』ではRINO、TwiGyとやってるし、その後のアルバムでも漢くんとか、神戸のINDEN、BOSS THE MC(現: ILL-BOSSTINO)なんかとやってきてる。その時に一緒にやる条件は言ってること、人生観含めて「自分のハートにくる」MCたち。ただアルバム1枚をラップで固められるだけの数ではなかった。そんな中で25年が経っちゃって、あっという間だった。 それで昨年、ふと我が国のラップの状況を見たら高校生、下手したら中学生までラップしてると。ちょうど自由にやれるタイミングだったので、昔からの夢だったものを、「実現させよう」と思って今回のアルバム制作に繋がったんです。 今回のアルバムは、3ヶ月半くらいで作りました。
ー「構想5年」と言っても信じられそうな出来栄えです。 KRUSH 濃すぎるというか(笑)。 ー日本の今のラップを取り巻く状況は、どうご覧になっていますか? KRUSH すべてを「よかったね」とは言い切れないですね。それによっての澱は絶対あると思うし、しかも僕らはリアルタイムでヒップホップ”ブーム”みたいなものを何回も見てきてるんで、上がっちゃ崩れ、上がっちゃ崩れ。 やれ「DJが格好いい」となれば、どこの雑誌も特集を組んで、スクールまでできて「これで世界に羽ばたくやつが出てくるのかな?」と思いきや、下火になっちゃって。ブレイクダンスもそう。だからまだ、その一環として見ている自分もいます。過去に経験してきちゃってるから、腕組んで安心して見てられないところはありますね。 ー逆に、今までのブームと違う、可能性を感じる部分は? KRUSH そこまでオレも今のブームを調べ尽くしているわけじゃないけど、どんどん歳が下がっている方向は、ちょっと注目したいですね。裾野の広がり方がどこまでいくのか。 あとは情報網も変わったじゃないですか?インターネットがあって、世界レベルで物事を見れるし判断できて、それがいいか悪いかはわからんけど(笑)、「どこまで広がっていくんだろう」というのはありますね。 ーシーン全体の中で、ある節目や総決算的な一枚となるような気がしました。 KRUSH 自分自身にも、そういった意味合いがありますからね。だからアルバムのタイトルを『軌跡』として、参加してくれたみんなにも彼らの”軌跡”がある。 面白いのは、参加してくれた彼らの中でも年齢が30、28になると、僕が原宿で回してた頃、まだオムツしてた子たち(笑)。そういうことも含めて、各自の足跡が一つのアルバムになっているので。 ー歳の離れているラッパーたちの言葉も、ハートに刺さった? KRUSH 昔にはなかったラップのスキルとか、DJ的に「あ、こいつの後ろの景色つくってやりてえな」というモノを持っている人たちを、僕は今回誘っているんですね。 過去にそれはTwiGyだったりRINO、BOSSくんはもちろん、INDENや漢くんだったり、「このラッパーの詩を聴いてると色でイメージが出てくる」というラップの人に対しては、純粋に「つくりたいな」と思います。
ー今回参加している全員と、面識はなかったですよね? KRUSH ありません。 ー面識があったのは? KRUSH RINOは何回もやってるし、Meisoくんはハワイでショーをやったことがあって、志人くんもライブを一回一緒にやってます。こだまさんと一緒に、それもメンツが濃い(笑)。 ー会ったことがないのにKRUSHさんからオファーが来たら、驚かれたんじゃないかと思います。 KRUSH 基本は電話とメールでやりとりして、レコーディングでも一度も会ってないんです。 「軌跡」というコンセプトを伝えて、「オレは25年やってこういう足跡をつけてきたんだけど、みんなはどう?」ということで、3曲ずつくらいデモトラックを各ラッパーに送って、「どれでやる?」と。 その後、選んでもらったトラックの上に彼らが詞を付けて、ラップを乗せてきますよね。でも、最初に送ったトラックはまだラフなもので、構成されているものじゃないので、彼らのラップを聴いて僕がそれをまた眺めて、バックの音を色付けし直して。 各自個性があるし、いかにも「ただ乗せました」じゃあつまらないから、グル-ヴも含めて、一緒に寄り添っていく曲にしたかったので。 それで、イジり直したものをもう一回聴いてもらって、何度かダメ出しのやりとりをして、彼らがOKしてくれれば正式なミックスに入っていくという、そのやりとりを全員としました。 全3回、次回へ続く
DJ KRUSH (ディージェイ・クラッシュ) サウンドクリエーター/DJ。選曲・ミキシングに於いて抜群のセンスを持ち、サウンドプロダクションに於ける才能が、海外のクラブ・シーンでも高く評価されている。1992年からソロ活動を精力的に行い、日本で初めてターンテーブルを楽器として操るDJとして注目を浴びる。1994年に1stアルバム『KRUSH』をリリースし、現在までに9枚のソロ・アルバムと1枚のMIXアルバム、2枚のセルフリミックスアルバムをリリース。ソロ作品はいずれも国内外の様々なチャートの上位にランクイン。現在も年間、約30カ所以上のワールドツアーを敢行している。地域を越えて、多岐に渡り高い評価を得続けるインターナショナル・アーティスト。
エネルギーのポータルサイト「ENECT」編集長。1975年東京生、School of Visual Arts卒。96〜01年NY在住、2012〜15年福島市在住。家事と生活の現場から見えるSDGs実践家。あらゆる生命を軸に社会を促す「BIOCRACY(ビオクラシー)」提唱。著書に『虚人と巨人』(辰巳出版)など https://www.facebook.com/dojo.screening Twitter @soilscreening
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