【初回】トーク|会津電力・JAふくしま未来・みんな電力
読みもの|5.7 Mon

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県内でも特に雪深い猪苗代町、会期中は雪に覆われていたはじまりの美術館

  福島県は猪苗代町にあるはじまりの美術館で2〜3月開催された、「ビオクラシー」展。その最後に、エネルギーの未来を切り拓くトークイベントがあった。
 一人は311以降「地域の資源を市民の手に」、「新しいエネルギーを福島から全国、世界に」と立ち上がった大和川酒造店9代目当主が本業の、会津電力代表・佐藤弥右衛門さん。もう一人はやはり311以降、あまりに現場を知らない施策に「私たちは蔑ろにされている」と立ち上がり、望まずして事故最前線に置かれた農家のため、掛け値なく美味しい福島の食のため奮闘を続けるJAふくしま未来菅野孝志組合長。最後の一人は、311前から「誰もが発電できる社会」を標榜し、「顔の見える電力」を掲げて、有機的に生産者と消費者を繋げるサービスを広げるみんな電力代表・大石英司さん。
 何よりも「あらゆる命を尊重する」価値観である「ビオクラシー」がテーマのアート展会場で、展示作品を交えながら、それを当たり前に体現されるお三方の言葉をお届けします。

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画面一番左の司会から、右へ佐藤弥右衛門さん、菅野孝志組合長、大石英司さん

ーまず、お三方からエネルギーについての取り組みと、それぞれの組織の今ということを伺えればと思います。

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佐藤 喜多方市でつくり酒屋の9代目、もう228年になります。「よっぱら(余腹)だな」というのは、「十分だべ」という意味で、いい加減やめてもいいんだろうと思うんですが、ちょうど59歳と11ヶ月と10日、「あと20日で還暦だ」という時に、2011年の震災と原発の爆発がありました。
 それ以降、「60からこうしよう」という計画はほぼほぼ崩れ、だいたい計画というのはその通りいかないものですが、「自治とは何か」、「地産地消とは何か」、「エネルギーとは何か」ということを大きく考えさせられました。
 私も酒屋ですから米、水、技術に実はエネルギーというのがあったんですが、最初の3要素に関してはやってきたらから「もうこれでいいな」と思っていたんです。でもあの事故で、「エネルギーは何を使っていたのか」と考えたら、みんな遠くから持ってきていたんですね。
 石炭はもうないにしても、中東の方から石油を持ってきている構図を考えると、「全然足元が落ち着いてなかったな」と改めて思い、会津電力をつくりました。今はその代表をやっています。
ーでは菅野組合長、JAふくしま未来の、必ずしもエネルギーに関わるお話ではなくとも、「地産地消」や「地域」といったことでお願いできますでしょうか。

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菅野 私は震災の時、ちょうど事務所にいまして、あの日は2時46分から4、5分の間本当に揺れて、直後に対策本部を立ち上げ、臨機応変に「何でもやっちゃおう」という組み立てが必要だろうということで「地域がどう変わったか」、「災害の被害がどうなっているか」を見てきましたが、結果としてやはり「何ができるんだろう?」と。
 それは、一つには結果として組合員や地域の方々の避難とかの対応の問題、もう一つは我々のいわゆる生産とか暮らしをどうするのかという部分。しかも震災はちょうど農作業が動き出す時期でした。そこで、僕らは4月5日に「つくる」ということを決めて具体的に動き出しました。
 情報をとって県の動きもだいたい把握すると、おそらく6日か7日には、米も含めて「つくるよ」という県の発表があると。その状況を押さえながら、ウチでは4月5日、約3200人の組合員の方々に20ヶ所に別れて集まっていただきました。ただ、いろいろな原発の問題を含めた時、なかなか「何ができるのか」ということが見えてこなかった。

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福島他、「ガンマ・ウォッチ・スクワッド」、「みんなのデータサイト」など、県外でも行われている放射能測定を「表現」と捉えた展示。
ベラルーシ製でオレンジ色の通称”ロケット”で福島市内の全農地を測定した「土壌スクリーニング・プロジェクト」は、菅野組合長が主導した

そこが、福島大学の先生方とチェルノブイリに行った時から、徐々に見えてきたなと思っています。
 今改めて、「JAがやらなきゃいけないことって何なんだろう?」と。エネルギーというものを大きく捉えた時、食料自給率もその一つでしょうし、そこをいわゆる「電気」として捉えると、それらをトータルした「エネルギー」をどうに自分たちで賄っていくのか、そこを考えていかないとなりません。
 今、耕作放棄地は約50万ヘクタール近くまできています。それをいかに再生していくかというのが、そこは恐らく太陽光とか風力といった「電気としてのエネルギー」、ある意味での自然エネルギー的な分野を本当はやりたいんですが、なかなか手が出ていないというのが実態です。
 ただ一応、「自然再生エネルギー積立金」というものが5000万円からはじまって、今1億は持っています。持ってるんですが、その使い道がなかなか、どこから手をつけたらいいのか、本当は小水力あたりから手がけてるのがいいのかもしれません。
 もうちょっと山を大切にしたい。農地を大切にしたい。それは結果として、人が大地に足を踏みしめるための基礎なんではないかなという、そんな想いを新たにしています。ここの部分というのは、すごい夢なんだけど、やっぱりやらないかんことなんじゃないかと思っています。エネルギー政策の中での食料という部分と、産業としてのエネルギー分野をトータルとして考えていく意味で、非常に大切だなと。
 今日は自分たちにできる部分と、皆さんの話を聞いて、一歩踏み出さないといかんなと。今日は私の言った「何もしねえのは考えなかったのと一緒だ」という言葉がアート作品になっておりまして、改めて、自分の言葉を思い起こしたところです。

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中央SIDE COREの作品「Rode Work」に向かって左、額装された「やりもしねえのは考えてなかったと同じ」の言葉は組合長による

ー最後にみんな電力代表、大石英司さんです。たぶん、再生可能エネルギーの電源構成における比率が最高で91%というのは国内最高峰で、かつ、他にはない面白い取り組みを次々に仕掛ける会社でもあります。

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大石 エネルギーベンチャー会社・みんな電力の大石と申します。
 弊社は東京で電力のサービスをやっています。なかなか皆さんは、電気が実際に送電線網の向こうで、どこかの発電所に繋がっていることをイメージすることはないと思います。でも実際には必ずどこかの発電所に繋がっていますので、コンセントの向こうは石炭火力か、太陽光かガスの電気かもしれません。
 私自身も電気代を普段払っていて、どうせなら自分の電気代が、出身の東大阪市の父親の友達の中小企業の会社の屋根の上に乗っている太陽光の電力に払えていれば、それは故郷のためになるわけです。他にも例えば、福島復興のための発電所にお金を払うことができたら、それは復興の貢献になります。
 もともと、「なんで電気は自分で支払先が選べないんだろう?」という疑問が根本にありました。それで弊社は、「顔が見える電力」というものを掲げています。
 ただ私自身は、とても不純な動機で事業を始めています。
 もともとは10数年間サラリーマンで凸版印刷という会社に勤めていたわけですが、2007年くらいに、電車の通勤途中、目の前に座っていた女性がソーラーのついた携帯キーホルダーをつけていたんです。ちょうど私のガラケーの充電がなくなるところで、その時に「このオネーさんの電力を分けてもらえないかな」、「このオネーさんのつくった電気なら200円払ってもいいけど、隣のおじさんからの電気なら20円がいいところだな」と思ったんです。
 電気って、使うことしか考えてなかったのが、技術革新でこのオネーさんでも電気をつくれるし、「すみません、その電気わけてください」と伝えれば彼女もきっと嬉しいし、そこに繋がりもできるし、まさに「付加価値がうまれるんだな」と。
 電気は「誰がつくったか」という点で、付加価値をつけることができます。今実際にNTTさんと、電気で自分の卒業母校を応援する「学校応援電気」というものもやっています。
 電気に付加価値をつけていくことで、新しい、今までとまったく違う価値創出ができる。これまでは価格の価値しかなかったところに、新たに「誰がつくったか」という価値を置くことで、まったく新しいイノベーションが起きるんです。
ーここで言う「不純な動機」は、弥右衛門さんの場合には当てはまりませんか?
佐藤 そんなこと言ったら不純だらけですよ(笑)。欲望と、野望と、快楽と、そんなものですね。今日だってこの後に「お酒呑み」が待ってるからここにいるわけで(笑)。

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トーク後は福島大学の林薫平先生も加わり、福島の酒、会津の馬刺しで、福島から発信できるエネルギーの在り方について話は続いた

 今大石さんが言ったように、「顔の見える関係」というものがあって、そこには消費者とか生活者という風に呼んでいる存在があります。今は電気を買っていただいている生活協同組合の皆さんとのお付き合いがあって、その時に「皆さんは消費者ですか?」という質問と、「生活者ですか?」という、それは両方「はい」ということと思います。
 でも「消費者」って、ただ次から次へとものを買って消費して、情けない存在に思えませんか?そこが「生活者」となると、生活者は自分で選んで、自分で考えて、自分でものを使っていく。自分のアイデンティティがあって生活をする、その中で必要なものを使うのが生活者なわけです。
 同じ電気でも「選ぶ」ということがあって、原発のような、電力会社の強欲な「儲けりゃいい」という組織の電力を買うよりも、やっぱりそこは再生可能エネルギーの方が、しかもそれを誰がどこで、どういう風につくっているかがわかれば違うんです。

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弥右衛門さんとも懇意で、以前ENECTにも登場いただいた高知県在住のデザイナー・梅原真さんによる、未採用に終わった2008年作のポスター

 野菜なら、どの地方でどんな栽培方法で、どんな夫婦がそれをつくっているか、買う方は誰がどうつくっているか顔が見えるし、つくってる方も、誰が使って食べてくれるのかということを、僕はずっとやってきました。僕の時代は有吉佐和子の『複合汚染』という本があって、都市生活者の抱える矛盾みたいなことが明らかになって、農薬や化学肥料について考える機会があったんです。
 電気も同じです。
 一方では「儲けりゃあいい」ということで、どんどんつくってどんどん流す。しかもメインフレームの一極集中型って、要するに「デカけりゃデカい方がいい」という考え方。大量生産、大量消費が今だに前提のやり方と、そうじゃない、一つ一つ手づくりで、必要以上のものはいらないお互いの関係というものもあって。
 その時「これから経済は右肩上がりで豊かになるんですか?」という、「豊か」だって言いながら大量生産、大量販売、コストダウンをしながら大量消費してもらうという世界はもう、ありません。高齢化に少子化、地方の問題もそうだけど、そうするといかに手触りの良い、納得のいく「豊かさ」にシフトしていって、これまでの考え方を変えていかないと、このままいくとただアメリカに隷属していくという話にしかならないんです。
 もう一回足元を見直して、豊かな文化を取り戻す方法を「こうですね、ああですね」と考えて、地域社会で、先輩たちと後輩たち、子どもたちや孫たちとで、見せていく。展示にそういう作品もありましたね。

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奥の額装作品の言葉は「足元にある文化をつかう」。手前は「自由はあるんだけど、それを認識してない」。これらも、福島市民の口から実際に発せられた言葉だ

ー弥右衛門さんと菅野組合長は、いつ頃からのお付き合いなんでしょうか?
菅野 本当に震災から1年目、桃とか農産物が売れないという時に、消費地の方からの手紙とか、生産者の声というものも聞こえてきて、福島は桃が主力なわけで「これはなんとかしたいね」という話になったんです。
 その時に一緒に「何とかモノをつくって、お酒と桃のリキュールをつくりながら、難局を乗り切ろう」と考えて、意外とネガティブなネーミングというか、『桃の涙』というものをつくりました。

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 僕は、「涙」という言葉の中には、悲しい時の涙もあるし、ある意味で楽しかったり、喜びの時の涙もあるし、いろいろな喜怒哀楽の営みの中で「涙」というものはあるだろうと。その部分でおそらく、原発災害の中から再生していく時には、いろいろな想いを涙で洗い流しながら、同時に涙に込めた想いをイメージしながら、『桃の涙』は甘いお酒だったんですが、5万本近く売りました。
 普通は1万本も売ればかなりメジャーな方に入るんですが、そんなところからお付き合いが始まりました。
 弥右衛門さんとのお付き合いで、自分たちの地域で採れたお米なんかをベースにした、地域で採れたもので地域の酒屋さんがつくる「地産地消の良さ」というのは、私たちも感じています。
 僕はここまで話を聞いていて、ある意味で「恥ずかしい」と思ったのは、実際に今東北電力、全農とも交渉して、JA福島の中で電気料金をグループ全体で、年間3千数百万くらい下げたんです。でも、そこに値段を下げる努力はあるんだけど、地産地消とか「誰がつくってる?」というところには意識がいっていなかった。
 実際に僕らが仕事ととして心がけている地産地消とかファーマーズマーケットというのは、「地域の人たちに食べて欲しい」という想いでやってるわけですよね。そこと電力の関係があまりにもギャップというか、「オレはそこの電力の部分、何も考えてなかったな」と反省させられた部分がありました。
 だから次の見直しの時、そこにもこだわれるような展開をしなきゃいかんなと。
 ただ、どうすべきかというのは、我々にはわからない。そこをどうするか、大石さんとか、弥右衛門さんにいろいろご指導を受けながら、展開していくことなのかなと思いました。

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ー私自身「顔の見える」関係の重要性は、震災後の福島でこそ学ばせていただいたことでもあります。また、それを電気の世界に置き換えた時、みんな電力がそこを大切にやっているんだと認識して、可能性を感じました。
菅野 ここまで弥右衛門さんの話、大石さんの話を聞いてきて、「あれ、オレたちの考え方と同じなんだけど、電気という分野に関しては、そこを意識しないでただ値段だけ考えればいい」って、ある意味で今の時流に乗り過ぎちゃったなと。
 とはいえコストはもちろん大事だし、そこに「顔の見える」関係と、そのつくり方、そしてどういう風に社会的な貢献をしているのか。その、社会に対する間違いのない貢献をしているところから届く電気を使いたいという、協同組合として、「そこの想いはどこかに持たないといかんな」と思いました。
ー「顔が見える」ことが重要なファクターであることは間違いないとして、昨今は世界で「RE100」という動きもあります。大石さんからもう少し説明を加えていただけますか?
大石 2007年のその女性との出会いの後、いろいろな人に「電力って誰かがつくってたら面白くないですか」みたいな話を散々していたんです。
 でも2011年の事故後でも「誰がつくったかわかる電力を、そういう価値観で買う人はいませんかね」ということを言うと、ほとんどの人は「質が同じなんだから、価格以外にみんな興味ないですよ」みたいな、1000人に一人くらいしか面白がってくれる人はいませんでした。
 でも、電力自由化の後実際に「電気の出どころを気にする人がいなかったかどうか」で言いますと、蓋を開けてみると、確実にそういうお客様はいらっしゃったわけです。
 「この電気はどこから仕入れているのか?」ということをすごく意識されている生活者さん、もちろん生協さんのこだわりも強くて、徐々にその動きは国内で広がっています。
 今、海外では「RE100」と呼ばれるアップルやグーグル、フェイスブックとか、パリ協定以降に「私たちの企業は再生可能エネルギー100%で企業活動します」と宣言する企業のグループが、大きくなってきています。それは対投資家との関係の中で、もし今だにアップルが石炭火力を使っていたり、紛争に貢献しているような会社であるとなると、株が売られてしまうわけです。

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会場の電力は会期中みんな電力に切り替わり、再生可能エネルギーで光るネオン作品で照らされた額装作品上の言葉たちが、そこに影として再生していた

 ようやく日本でも外資系企業を中心に、「私たちも再エネをやらねば」というように広がってきています。
 そしてその影響を受け、RE100を主宰するイギリスのNGOであるCDPが、「今後は日本の企業がどんな電力を使っているのか、厳しく見ていきます」という宣言を実際にしています。日本の大企業は他がやりだすと「ウチはなんでやってないんだ」という風になりますので、ようやく市場ができあがってきたところかなと思います。

 

原発事故から7年が経ち、それ以降の新しい社会を実際に構築中の立役者が揃ったトークイベント。
その場に居合わせた福島県民からの言葉も絡み合い、場は静かに熱を帯びていきます。次回も楽しみに

 

(取材:平井有太)
2018.3.24 sat.
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