【第1回】自由の森学園が、電力をみんな電力に切り替えたわけ
読みもの|4.9 Sun
自由の森学園。
知ってる人には有名校だし、知らなくても、その校名から、ユニークな校風を伺い知ることができるだろうか。
1985年、埼玉県飯能市に「競争原理を超える」教育を実現させるべく設立された当学園は中高を擁し、現在総生徒数は約630名。今回話を伺ったのは、一緒に園内を歩けば、会う生徒会う生徒に「オニさん!」と声を掛けられていた鬼沢真之理事長。自由の森学園は、その自由化を受け真っ先に電力を切り替えた。
その背景にあったものは何だったのか。
昨今、特にTVや映画スクリーンを賑わす星野源、浜野謙太、ユージらを輩出し、過去には故・菅原文太氏も理事長を務めた学園の核心に迫った。
鬼沢理事長は、校名に込められた想いを「自由への森」、「自由を獲得するための森」、「自由への意志を育てる森」と語る
ーそもそも御学園はなぜ、電力を切り替えたんでしょう?
鬼沢 それは、311がきっかけだよね。もちろん以前から原発を危険だと思ってた人だっているし、自分だって100%安全とは思ってなかったけど、でもやっぱり事故が起きてしまって、考えざるをえなかった。
ー311以前、気候変動や環境のことも意識してらっしゃった?
鬼沢 もちろん、それはあります。温暖化の問題は気になるし、教育内容においてもできる限り環境に関わるテーマはとり上げてきました。けれど、社会には「温暖化の防止には原子力」と考えられていた時期もあって、僕だって明確に「違う」と言っていたわけでもなく。
電力の切り替えは、学園としての選択です。もちろんその中に僕の意向が働いていることは間違いないけれども、他の人たちが反対しているのに僕が突っ走るということはありません。この学園の多くの人たちの賛同、想いがある上で、ある意味で僕が提案に踏ん切ったということです。
ーその「想い」とは?
鬼沢 僕の「本籍」は社会科の教員です。それが、「校長になる」ということで一旦は教科の授業から足を洗って、ただ一コマだけ「どうしても授業をやらせてくれ」ということで、それは「林業」という選択講座です。
もともとこの周辺は江戸に木を送ってた林業の土地で、そういう意味で「地場産業の林業を生徒たちに伝えたい」ということもある。その背景には林業の衰退や、一方で他国の木を切りまくって使っているという問題もあって「地球、地域の環境からもう一度森林を捉え直したい」という想いがあった。そういう授業を、もう15年くらいやっています。だから「サステナブル=持続可能性」の問題は、林業を教えながらずっと意識してきたことでした。
ー311がきっかけとはいえ、もともとの想いがあった。
鬼沢 原発事故があって、この学校でも計画停電があり、「電力が足りなくなる」とか、生徒の中には「放射能が飛んでくるから、窓をガムテープで目張りする」や、それこそ避難という話もあった。その時校長として考えたのは、我々が、放射能や原子力に対して判断をする前提となる知識が「ほとんどない」ということでした。
図書室には、東日本大震災に関する書籍が揃うコーナーができていた
例えば「
20ミリシーベルト」が危険なのか、安全なのか、そもそも「20ミリシーベルトって何?」ということすらわからない。これだけ原子力が身近にありながら、きちんと理解する能力を持ってない。あまりに「お恥ずかしい話だな」と。
ーそれはたぶん、私たち全員に突きつけられたことかと思います。
鬼沢 教育に携わっている者として、危険をどう避けていくのか。それどころか、危険か安全かを判断する術さえない。僕自身も本当に苦労しました。
「ここで学校を開いていいのか」とか、「グラウンドに子どもたちを出していいのか」、「この食べものは食べていいのか」といった、いろいろな問題を突きつけられた時、これほど判断に困ったことはなかった。肌感覚で「これは大丈夫だ」と答えられない状況を、本当に情けない話だなと思ったんです。
ー他人事ではなかった。
鬼沢 僕は、「結局福島の犠牲の上に、自分たちの電力があったんだな」と一番感じたの。なんだかんだ言って「これはよくない」と。「原発が本質的に安全かどうか」という議論は、賛否いろいろあるでしょう。だけど、誰かの犠牲の上に、自分たちが湯水の上にエネルギーを使って生きているという構図はよくない。だからこそ、代替えエネルギーにシフトしていくために、「やれることはすべきだ」って。
そうしたらある朝、車のラジオから「新しく電力が自由化されて〜、、」という話が聞こえてきて、学校に着くなりすぐ調べて、そうしたら「本当だ」と。ソフトバンクパワーっていう会社が法人向けに電力を売り出すということで、即電話して。
ー法人向けということは、昨年4月の家庭用電力の自由化よりも前ですね。
鬼沢 2014年の10月くらい。当時おそらく、他の学校で新エネに替えてるところはなかったと思う。向こうも驚いてたし。
僕はやっぱり、子どもの未来や教育というものを考えた時、あの事故を経験して「そのままでいい」って話じゃないぞと。即電話して、向こうも飛んできて、安定供給は大丈夫そうだったので。「じゃあ、乗り換えます」ということで、然るべき会議にかけて、そしたらまあ、保護者たちからも歓迎されました。
ー親御さんも喜ばれる方々が多かった。
鬼沢 そうじゃない親もいたとは思うけど、基本的には「それは大事だ」という評価をいただいた。ところがその後、ソフトバンクパワーが法人向けをやめて個人向けに切り替えるから「申し訳ない」って言ってきたんです。
そこでまた「どうする?」と考え、
パワーシフト・キャンペーンに事情と、「供給元を探してる」とメールをしました。そこで他の数社とともに、みんな電力を教えてもらったんです。
ー自由の森学園の教育方針と、再生可能エネルギーの持つ価値観的なものがリンクした。
鬼沢 子どもたちを預かっていて、この子たちが生きていく社会が持続可能じゃなかったら、アウトだろうって。目先の大学云々という話はわかるけど、子どもたちが大人になっていくこれからの社会のことを考えた時に、「明らかに行き詰まりってのはナシだろう」と僕は思うんです。
つまり、原発事故は、「おまえら大人は、本当に将来のこと考えて選んだの?」という問いだと。それに対して、僕らは残念ながら、はっきりと「そうだ」って言えない選択をしてきていた。今だって、原発のゴミをどうするのか決まってない。子どもたちの将来に、少なくとも、責任を全面的に負えるかどうかは別だけど、「負おうとする姿勢」は表さなきゃいけない。だから僕は、それが311を起こしてしまった我々の「ある意味での責任じゃないの?」って。
ー教員間では、だいたい総意で切り替えは決まったんでしょうか?
鬼沢 これは経営の判断として、内部の職員会議や、保護者会で報告はしました。だから、みんなで喧々諤々の議論をしたってわけでもないけれど、原発についての賛否はあるとしても「再生可能エネルギーをできる限り応援したい」というのは、たぶん原発賛成の人にしたって「バツ」じゃないと思うわけ。
反対もなかったし、基本的にはみんなが合意できる、納得できる判断だったんじゃないかって。「じゃあなんで、他のところはやらないんだ?」ということが不思議というか。だから僕はあちこちの知り合いの校長に言ってます。「どうしてんの?」って(笑)。
ー答えは返ってくるんですか?
鬼沢 確かに校長さんは、経営責任を最終的に負ってる人じゃないから、理事長の立場とはまた微妙に違うけれども、でも「どうかな」って。
この学園は、「なぜ子どもを数字で並べるんだ?」という疑問からスタートしたんです。つまり、子どもにはそれぞれ違う個性があるにも関わらず、多くの学校では、序列的評価が支配的です。恐らく、社会に送り出すためには数値的な価値付け、評価をした方がやりやすいということでしょう。子どもに54321を付けたり、学年順位を付けたりというかたちで。
だから、ここでは一人一人を人間として育てると。人間本来の成長の中に数値的評価が無いとは言わないけど、それが中心じゃないのに、今の教育界の中心はそちらになっている。この学校をつくった最大の意図は、「そこと一回サヨナラしてみよう」と。それでこの学校は、54321を通信簿で渡さずに、全部文章で評価しています。一人一人に、教員が全教科、書く。
そういう意味では全くの少数派なんだけど、僕としては、真っ当なことを真っ当にしようとした学校だと思っています。その流れからするならば、あの福島の人たちを、ある意味で足場にして「オレたちがエネルギーを湯水のように使えるというのは、ねえだろう」という。
お邪魔したのは、春休みの最中。「美大の雰囲気に似ている」と言わる校舎には、いたるところに絵が描かれている
ー同じ地表に立っている仲間なわけだから。
鬼沢 今回はっきりわかったのは、実はこれは福島だけじゃないけど、福島のあの地域の人たちが危険にさらされ、学校に同じように通えないという状況を知りながら、これまでと同じ電力を同じように、たとえ「そんなこと言ったって」と言いながらでも、使ってていいのか?という問いを突きつけられているんです。だとすれば、「やれることはやろう」と思うことは当然で。
(取材:平井有太)
2017.3.7 tue.