Lee “SCRATCH” Perry | ENECT プラチナム連載 Vol.7
読みもの|5.2 Mon

 

 昨年12月、耳を疑うニュースが飛び込んできた。

 レゲエの生ける伝説、グラミー賞受賞歴もあるリー”スクラッチ”ペリー氏の、スイスのスタジオが焼失したというのだ。

 彼の作品、ステージに触れたことがあれば、そのサウンドはもちろん、身につけるシャツ、ジャケット、帽子、靴の細部にまで、溢れる創造性が施されていることを知っている。そして、そのすべてが燃えてしまったことに想いを馳せれば、言葉にできない焦燥感にかられる。

 ENECTは早速、スイスに駆け付けたい気持ちで、ペリー氏とのコンタクトを試みた。やっと連絡がとれると、80歳記念でワールド・ツアー前の氏は、母国ジャマイカで充電中だった。

 今日5月2日から3週にわたりお届けするのは、やっとお会いできた生き神様との、貴重の邂逅の記録である。


 

特別講師:野田努(ele-king)

まず知っておきたい、リー”スクラッチ”ペリーという天才について

 

 

 音楽は楽器によって生まれるものであるが、現代では、スタジオ設備や電子機材が大いに使われていることは言うまでもない。ポピュラー・ミュージックにせよ、お茶の間に流れる音楽にせよ、音を電気的に加工するのは普通の手段であり、ときには、かつて録音されたものを加工し直して使うことも、ヒップホップ/クラブ・ミュージックの世界では常識だ。たとえば音にエコーがかけられることは、何も珍しくはない。

 こうした、現代では当たり前の大衆音楽における電気加工/録音物の再利用が、じつはカリブ海に浮かぶ小さな島の、掘っ立て小屋のような手作りのスタジオで生まれ、そして欧米に広まったということは、まだまだ一般的には知られていない。

 1970年代初頭、ジャマイカという国の、ふたりの人物がそうした電気加工──音楽分野では「ダブ」と呼ばれる手法を創出した。

 ひとりは、もともと電気技師だった男、いまは亡きキング・タビー。

 もうひとりは、80歳を迎えて、なおも元気に生きている現役の音楽活動を続けて世界中を回っているミュージシャン/プロデューサー、リー・ペリー。

 

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 1936年にジャマイカで生まれたリー・ペリーは、世界に影響を与えたジャマイカの大衆音楽史そのものであり、第二次大戦後の大衆音楽史における重要人物のひとりである。
 リー・ペリーは、まず以下の3点において重要だ。

 

 1.いまや世界な人気の音楽ジャンル、レゲエ誕生におけるキーパーソンである。
 2.レゲエにおいてもっとも重要なアーティスト、ボブ・マーレーをプロデュースして、
   素晴らしい名作を何枚も作っている。
 3.先に述べたように、ダブの創始者のひとりである。

 

 リー・ペリーは、1970年代、自分のスタジオ、ブラック・アーク・スタジオを作って、さまざまな名作を生んでいる。それらは生の演奏と電気的処理が組み合わさったものであり、そして彼が作る音楽の多くが、自然を破壊する現代文明への抗議を主張している。

 またリー・ペリーは、音楽家というよりも芸術家肌のひとで、独特の美学と衣装、超越的な言動でも知られる。

 ジャマイカでは、晴れた日の夜には満点の星々が煌めいているというが、リー・ペリーは、ブラック・サイエンス・フィクションの創造主としても、欧米の研究家たちから論じられている。

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野田 努/Tsutomu Noda

1963年、静岡市生まれ。1995年に『ele-king』を創刊。2004年~2009年までは『remix』誌編集長。2009年の秋にweb magazineとして『ele-king』復刊。著書に『ブラック・マシン・ミュージック』『ジャンク・ファンク・パンク』『ロッカーズ・ノー・クラッカーズ』『もしもパンクがなかったら』、石野卓球との共著に『テクノボン』、三田格との共著に『TECHNO defintive 1963-2013』、編著に『クラブ・ミュージックの文化誌』、『NO! WAR』など。現在、web ele-kingとele-king booksを拠点に、多数の書籍の制作・編集をしている。

 

(取材:平井有太)
2016.05.02 Tue.

 

 

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