【第2回】野馬土|南相馬市で稼働するソーラーパネル
読みもの|4.22 Sun

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  福島県の浜通り、原発から北12キロに位置する南相馬市の海沿いにソーラーパネルを設置した野馬土・三浦広志さん。
 「野馬土」は、彼の地で1000年以上続く国指定の重要無形民俗文化財・相馬野馬追から「野馬」の字をいただき、土地を追われ遊牧民=「NOMAD(ノーマッド)」となった市民を表し、さらには野に開け放たれた「野の窓」として本当の状況を伝える、情報発信の役割を担うようにと名付けられた。
 みんな電力が掲げる「顔が見える」関係を一番の武器として、にわかに信じられないほど頼もしく復興を進めていく三浦さん。
 農作業を奪われた一農家が、どのように発電事業にまで辿り着いたか。そしてそれがどのような、予想外の広がりを持っているのか。
 絶やさぬ笑顔でその苦労を忘れそうになる、切実だけれど痛快なお話。

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ー原発事故直後の臨場感溢れるお話は、今聞いても勉強になることが多いです。ただそこから丸7年後、南相馬にソーラーパネルを設置し、売電まで始めるところまで繋げるには、何から伺うべきか、、
三浦 わかりました(笑)。
 私は相馬港の日通倉庫に、お米を置いていました。それが津波で、8600万円分が流れてしまったんです。その倉庫からお米屋さんや産直にまわしていたもので、普通であればそれは農産物の販売で返していくんですが、今の状況では返せない。農業も再開できないし、どこからもお金が出てこない。
 そこで融資については農水省の金融担当を呼んでもらって、曰く、今度二重ローン対策で自民・公明案が出ると。その前にあった対策だと、私たちも申し込みはしたんですが、2~3割でしか買い取らないから金融機関が応じてくれない。だから改めて金融担当に「問題点はここですよ」、「こういう制度にしてくれれば、僕らも使える」、「借金できちゃったんだから、何とかして」と伝え、それを「金融庁に伝えてね」ということで、新しく出てきた制度は結果だいたい言ったことは網羅され、申し込んだらウチが認定第一号でした。
 それでとりあえず、5年間はその8600万円を返さない猶予ができました。金利も最初は1%だったのを「ふざけるな」と返したら即答で0.4%になって、「はじめから言えよ」と(笑)。ただ第一号だから前例はないし、そこで私たちが決めたことが2号以降の条件になるわけです。だから私たちも、「ギリギリまで頑張らないと」という感じでした。
 当時はまだ賠償金も出るかわからない状況の中、ちょうどその頃FITが始まりました。そこに経産省の補助金が出るので、福島での説明会に職員を一人派遣すると、福島からの参加は2社だけ。そもそも国は「福島を応援したい」と言ってるので、これは「余程のことがなければ認定されそうだ」ということでした。
 そうして、農事組合法人として「屋根貸し事業」というストーリーをつくるため、「コミュニティの再構築」ということで話し合いながら、屋根とか雑種地とか、組合員の希望を取りつつ「農業所得の減少分を補填しますよ」と話していきました。しかも最終的には賠償金も出て、全体の2億1000万円のうち7000万円だけ借りて、残りは賠償金と補助金で賄いました。それで、その7000万円を返し終わったら「今度は農家に還元率を半分以上にするよ」ということで、太陽光発電を開始したんです。
 その中で「これは、結構いけるな」と思い、、
ー確かな手応えがあった。

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三浦 だって設置すれば、ほぼ何もしなくてもお金が入ってくるわけで、「これは人件費やいろいろなものに使えるな」ということで、野馬土と、あとは組合員みんなに「これは儲かるから、借金してでもつくったほうがいい」と伝えて、それで今はだいたい全体で3メガくらい、そのうち野馬土は350キロワットくらいをつくっています。
 あとはあぶくま山系沿いの金谷地区というところに、750~800キロワットくらいのパネルを並べて、その脇で菜種とか、水田の復活をしています。
ーすべてはやりながら、密なコミュニケーションの中で、突破口を見い出してきた。

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三浦 発電は屋根貸し事業、その金谷のソーラーと、他にも私個人、私が新地でつくった農業と太陽光発電をやる「合同会社みさき未来」と、さらに野馬土でもやっています。そして他に個人でも、相馬や新地で味をしめた人たちが「これはいける」と始めています。
 農水省に、「20キロ圏内に空いた田んぼが広がっている」、「あそこに太陽光パネルを並べたいんだけど」と話すと農水省は、パネルを並べた段階で農地ではなくなるんですが、福島県は復興特区です。つまり、市町村が復興整備計画に認定さえすれば、農地転用が農業委員会を通さずできると言うんです。
 パネルを置いた土地を農地に戻すのは、今の状態では難しい。でも、20年後の社会情勢なんてわからないじゃないですか。だから「とりあえず、やっちゃおう」ということで、南相馬市長はOKだったんですが、ここでも担当がなかなかうんと言ってくれなくて、大激論をやりました。
 やっぱり人員不足、「大変だ」というのがあって、東芝とか日立はいいけど、市民がそんなことをやったら「私たちが大変になるんでしょう?」となっちゃって。

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ーお仲間や会員の皆さんのモチベーションは高いんでしょうか?
三浦 そもそも南相馬市は2030年までに、福島県だって2040年までに再生可能エネルギー100%を目指して進んで行っています。市民が自ら発電ができて、そこに参加することで復興も進むということです。

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ー改めて、三浦さんが物事を進める時のコツを、ご自身の言葉で説明願えますか?
三浦 でも、進まないですよ、本当に。
 そして進まない時には、どこかに問題があるんです。制度上問題ないはずで、国も農水もOKと言っているのに、それでも進まない時は市役所とか東北農政局のどこかで詰まっているはずです。
 その時は霞が関に電話して、「担当者が復興の妨げなんだけど」と言うと、向こうは「では、話してみます」と言う。それで次の日になるとその担当者から電話で、「そういうつもりで言ったのではない」、「問題点があるから指摘をしただけで、止めたわけではない」ときます。
 要するに私は、どこでも電話して解決しちゃう。それは管が一本あって、ちゃんと水が流れてくるはずなのに「どこが詰まってるんだ?」ということです。それが霞が関だったら直接行くしかなんだけど、私、みんな知っていますので(笑)。
ーみんな電力も掲げている、まさに「顔の見える」関係がキーである。

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三浦 そうなんです。私たちはずっと産直でやってきているので、震災後も大阪にずっとお米や野菜を送ってきました。そこを今、隔月で福島のものをとっていただいています。それも最初の3年間はゼロでした。
 皆さんには福島に来て、いろいろ見てもらったり全量全袋検査のことを知ってもらって、それだって最初は県もサンプル調査と言っていたんです。でも私は、「全部測れ」と。そうしないと「農業の復興なんかありえないよ」、そしてまず「私を会議に呼べ」と県に言いました。
 以降、県の農業関係の会議をやる時、私は必ず呼ばれるようになりました。いつも一番前の真ん中が私の定位置なので、何かあると必ず手を上げて話をしました。
 全量全袋検査は、やったからといって米がいきなり売れるようになるわけではありません。でもやることで、自分たちがまず安心できるし、状況がわかって対策をたてられるようになる。むしろやらなければこの先何十年もダメだろうけど、やることが復興へのベースになります。それを聞いた農協も「わかった、やる」と。
 最後まで抵抗した行政も「相馬市がやらないで、どこがやるの?」、「ここでやらないと、まわりは信頼してくれなくなるよ」と言ったら、部長が「わかった、やる。だけどオレはやらない。コイツがやるんだ!」って、一番若い職員を指さして(笑)。
 そうやってギャグじゃないけど、本当にドタバタしながら何とかここまできたんです。
ーそれさえも含めて、「顔が見える」関係のおかげに聞こえます。
三浦 前々から農民連は広域で、浜通りはいわきから新地まで一つのエリアとしてやっていたんです。だからそういう意味で、私には各地に組合員と話せる相手がいて、逆に私のことを新地、相馬の役場もよく知っていました。必ずしもいい印象ではありませんでしたが(笑)。
ーつくった電力の卸先をみんな電力に決められた理由は?

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三浦 今、私たちのところは津波の跡が残っていて、復興もこれからです。田んぼのかたちがなくて、津波でえぐれたままの状態が続いているし、直したのは川だけ。今は白地図の状態で、ここを「再生可能エネルギーを活用して復興しよう」ということで3年前から始めて、現在は太陽光パネルから得られるお金で、新地町で農業をやる人を養成しています。
 それで、これから川の向かい側に50ヘクタールの太陽光発電をやって、そこからのお金で農地の基盤整備事業をやるんです。さらに1メガワットあたり100万円ずつの復興予算が出るので、それを農地の復旧や農業の再生に利用するということになっています。今は風力発電の計画もあって、そこで得られるお金も利用するつもりです。
 今まで20キロ圏内ツアーとかをやっていく中で、最初のフランス財団もそうですが、いろいろな方の応援、提案をいただいています。その中で電力を通じた交流も盛んになってきて、それで八王子電力さんやワタミエナジーさん他、いろいろなところとお話ができるようになってきました。
ー予想以上の広がりを見えている。

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三浦 私は毎年横浜の再生可能エネルギーの世界フォーラムにも行っていますが、もう原発や火力じゃなくて、早晩再エネが世界のほとんどの電力を賄う時代がくると思っています。
 私たちもそこに加わっていますが、同時に、私たちは原発で滞らされているわけです。あの事故で避難させられたり、荒地のまま放置されたり、ですから、それに代わる提案を「自らやりたい」と思うし、それを消費する人たちにも「原発や石炭火力じゃない、クリーンな電力を使ってもらいたい」と思っています。
 福島はその原点です。
 それを忘れないで、ここに想いを馳せながら東京の人たちにも暮らしてもらいたい。そしてそれをきっかけに、さらに交流を持ちたいと思っています。
 ですから、そういう意味では今、オーガニックコットンや風力発電とか、いろいろやり始めていますが、一番のメインは衣食住を支えるエネルギーです。人間が持っている、本来必要なものを考えながら、交流していきたいのです。

 

福島の復興にも、再生可能エネルギーの推進にも、キーとなるのは「顔の見える」関係という嬉しい発見。
次回の更新はGWなので5/1(火)、野馬土記事・最終回へと続きます

 

(取材:平井有太)
2017.3.31 sat.
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