深川から生まれる「クラフトジン」
じわじわと、世の中でジンが流行りだしているのは感じていた。
ジントニックは、レモンサワーがさすがに似合わなかったり、そもそもメニューにない酒場で最も無難なものの一つとして頼むことはあるが、好んで「ジントニック」を頼むことはなかった。しかしビールのように、アタマに「クラフト」と付き、近所の信頼するマスターの店までもが扱いだし、気づくと店のカウンターに狭しとジンが置かれるようになってくると、さすがにスルーもできなくなってくる。
近所の信頼できるマスターとは、江東区は森下、高橋たもとのミドリの建物「BAR NICO」オーナーの小林幸太氏。地元に愛されるバーが「カレーとジンの店」を掲げるまでになった、そのジンの部分について聞いてみた。
「5、6年前のことですが、当時はクラフトビールがめちゃくちゃ流行りだしていました。だから、自分の店でクラフトビールは『個性として武器にはならないな』と思っていたら、ジンに出会ったんです。
それで、最初に買ったいくつかが立て続けに『なんだコレ?』という、全然知らなかった美味しさがあって。『これはヤバい』という感じで、カウンターにチョンチョンと置きはじめたのが最初です。それがどんどん増え、今はテーブルにまで並べるように(笑)」
この、一過性のブームと言うにはとどまらないジンの勢いは、日本以前に、世界の潮流があった。
「その頃すでに『モンキー47』という有名なドイツのジンがあって、それはすごい衝撃をみんなに与えたジンなんです。そのジンがきっかけで、世界中の蒸留所がクラフトジンをつくり出した流れがあります。
そのジンは、いろんな種類のボタニカルを使っているんですね。
まず、ジンに必要なものは『ジュニパーベリー』です。ジュニパーベリーは『西洋ネズ』の実のこと。今までのジンは、その風味が強調されているものでした。
日本にもネズの実はあるんですが、西洋ネズとはちょっとタイプが違って、西洋ネズの多くはマケドニア産です。他にイタリア産のものなど、イロイロあります。
そのジンは、自らの特色を逆手にとって『ジュニパーベリーさえ使っていればジンでしょう?』という方向性を提示しました。みんながそれに乗って、ボタニカルの他にも例えば『りんごの皮で』『お茶を使って』とか、そういうものが世界中で出てきました。
それで、ジュニパーベリー以外の香りがそこにあることで『え、これもジン?』という面白さが広まっていった流れがあります。
これがウィスキーだと『寝かせてから売らないといけない』とか、いろいろ条件がある。でもジンは、ジュニパーベリーさえ使っていればすぐリリースできる。だからメーカーで、ウィスキーはつくったけれどもリリースまで時間かかるから、『ウチはジンもつくります』というところも出てきました」
一応の前提としてNICOのある森下、そして清澄白河と門前仲町を軸に、駅で言うと住吉、木場、越中島、東陽町界隈まで含めたエリアを「深川」と呼ぶ。
由来は、江戸時代がはじまるとともに徳川家康が訪れ、そこにいち早く住んでいた深川八郎右衛門の苗字から界隈を「深川」と名付けたこと。当時物流の要だった小名木川、門前仲町には江戸最大の八幡さまである富岡八幡宮を擁し、江戸文化の象徴とも言える同エリアには情緒が残り、市民の有機的な横の繋がりから醸される活気が絶えない。
そしてNICOが世の流れを機敏に読み、クラフトジンに反応したまではわかるとする。
さらにそこに、清澄白河で名物ショップ「リカシツ」や「理科室蒸留所」を展開する、来年90年を迎える歴史を持つ理化学ガラスの老舗卸問屋「関谷理化」の関谷幸樹氏もジンで、小林氏と意気投合しているというから、興味は深まる。
「理化学業界には理化学ガラス職人がいて高齢化が進み、若い世代がなかなか増えません。私は、そんな業界に新たな仕事をつくることを目的に『リカシツ』をオープンしました。
『理化学+インテリア』をコンセプトに耐熱ガラスを使った商品を企画しており、そのリカシツにはよくアロマの先生が来店されます。そこで『蒸留器をつくって欲しい』というリクエストが多くあって生まれたのが、家庭用蒸留器の『リカロマ』でした。
理化学の世界で『蒸留』はポピュラーな技術です。リカロマは家庭で使えるようにシンプルに設計しており、アロマウォーター専用で、毎月3回ほどハーブを使ったワークショップをやっていました。そこに、いつもは女性やアロマの先生が来るのが、ある時からバーテンダーさんが来るようになったんです。理由を聞くと、自分がつくるカクテルのためにボタニカルを蒸留して、それで香り付けをすると言います」
蒸留器をつくり続けてきた文脈の中で、それまでなかったことが起こりはじめていた。しかも、ジンの勢いはそれだけにとどまらなかった。
「自分がジンに傾倒する一番大きなきっかけは、『ジンフェス(ティバル東京)』との出会いです。主催の方は日本におけるクラフトジンの先駆者で、ジンの種類を世界一多く揃えるお店も経営されていました。たまたまその店で、理化学業界に向けて『ジンを学ぼう』というワークショップがあって、その時が最初の出会いでした。2018年後半頃のことです。
名刺交換をして、『実はウチでも蒸留のワークショップもやっていて』と伝えると、その翌週には店まで来てくれました。講師の先生にイロイロ質問もしてくれて、僕も幸太くんがジンをやってるのを知っていたので声をかけ、繋がりが生まれていきました」
関谷氏は流れの中で、ある意味必然的に、ジンの蒸留と深く関わることになる。
「その方は東京で最初の蒸留所をつくりたがっていました。その時に1年半くらいかけて、オリジナルのものを設計してつくることに関わり、その経験から、蒸留器やクラフトジンの奥深さを知ることになりました。
もう一つ大きかったのは、幸太くんが連れて行ってくれた、岐阜県にある蒸留所です。そこで見た蒸留器が衝撃的でした。それは焼酎用の蒸留器で、すごく古典的でシンプルなものでした。しかもそこのジンは、すごく売れているんです。
一般的に、ビジュアルがよい蒸留器は、ステンレスや銅を使ったりしてカッコいい。でもその蒸留器は、組んだ杉材を固定したヘッドがあって、上に銅板が乗ってるだけの本当に古典的なものでした。それで、高い評価を受ける美味しいジンをつくっている。
お話を聞いていて、すでに販売している家庭用蒸留器『リカロマ』と構造が似ていることや、今まで培ってきた理化学業界での経験が相まって、だんだん『これなら自分たちでもつくれる』と思えてきたんです。それからは『きっかけがあれば深川で蒸留所をやりたい』という話を、ずっとしていました」
徐々に、両氏が夢中になっていることの全貌が見えてきた。
「『コロナ禍のおかげ』と言ったら変ですが、事業再構築の『本事業の売り上げが多少下がって、新しい事業をするのに補助金を出す』という支援制度が出て、申請したら通って、しかも場所もうってつけのところが空いたんです。
ウチでは蒸留器を、自社でオリジナルをつくれる。そういうことで、辰巳さんのアドバイスもいただきながら、『深川オリジナルのジンをつくる』というプロジェクトがはじまりました。まず最初のこだわりは、『オリジナルの蒸留器』でした」
では、理化学ガラスの老舗が考える理想の蒸留器はどのようなものだろう。
「『装置が美味しいものをつくる』のか、『テクニックや知識が美味しいものをつくる』のか。
僕はどちらかというと後者だと思っています。あまりにハイスペックな装置は、もちろんそれを使いこなせればすごく繊細なものはつくれます。でも『呑んでる側にその繊細さが伝わるか』というと、疑問も残ります。
幸太くんとはよく各地へ視察に行っていますが、どこも基本はハイスペックです。ウイスキー用の蒸留器を入れていたり、でもよくよく話を聞くと『使いきれていない』ことが多い。だから僕は、ジンをつくるためだけのシンプルな蒸留器をつくった方が効率もいいし、洗いやすいとか、そういうポイントをおさえたオリジナルのものをつくろうと思っています。
我々理化学屋が、このプロジェクトに関わるわけで『自分で器材をつくれる』のは強みです。かたや幸太くんはジンをずっとやってきた。実際にもう、彼のスタッフの一人が蒸留家になるための本気修行を終え、それらが掛け合わさった化学反応が強みに繋がっていくと思います。
繋がりのネットワークの中で、お互いに足し算とか掛け算をできている感じが、うまく皆さんに伝わって欲しいです」
日々、国内外各地のジンを扱っている小林氏の見解も聞いてみた。
「やっぱり、皆さん『これでハマッたんだよね』というジンを持っているんです。それは、一つ一つに個体差があって違います。そこを僕は『浅く広く』と捉えていますが、誰でもそれぞれの表現ができる、そこは何かと難しいイメージがあるワインとも違います。ジンは、表現することにおいて誰にでもとっつきやすいものなんです。
すごくハードルの低いものなので、そういう意味でみんなに、特に『ジンは苦手』という人ほど呑んで欲しいかもしれません。それが、自分が店に立っている時の楽しみでもあります」
”深川らしいジン”があるとして、それはどういうものだろう。
「そこですよね、、とりあえずアサリは案として絶対出てくるとして(笑)、現在『深川蒸留所』という名前だけは決定しています。味は今、いろいろな蒸留テストをしながら、試行錯誤しながらやっています。
蒸留酒は言ってしまえば、焼酎を買ってきてジュニパーベリーの実を入れて火にかけて沸騰させた水蒸気を回収すればジンになる。なので、焼酎とジュニパーベリー、それが日本酒でも、生姜を入れたり味を足していくのは自由で、それでジンはできちゃいます。蒸留さえすれば色素は全部落ちて、一番軽い香りの成分だけが飛んでいって、それが透明な液体で溜まって、人間の脳は香りで刺激されます。
世界には海藻のジンもあるし、海系の素材はナシではないと思っています。だから、味に関しては本当に今、探っているところです」
深川は、江戸三大祭りとされる富岡八幡様の水かけ祭りなど、市民同士の繋がりが街の個性に反映されている。その効果について、小林氏は
「『街のイベントに積極的に参加してきてよかったな』と、そうみんなも思えるよう、成功させたいと思っています。
ジンは、人それぞれ好みのものが選べて、自分のお気に入りが誰にでもできるお酒だと思います。僕のお気に入りもあるわけで、ついそればっかり売っちゃったり、それじゃあ本来店としてはダメなんですが(笑)、皆さんそれぞれ『好きなものを見つけてください』ということを思います」
と言い、関谷氏は、こう語る。
「一つかたちができれば、今まであった街イベントの延長線上にこういう成功例ができたというケースになるし、そういう意味でも成功させたいと思います。
それにこのエリアは芭蕉さんがいた、奥の細道のスタート地点じゃないですか。そういうことも絡められたら、芭蕉さんが訪れた各地の特産物に紐付いたジンをつくって、その旅も延々と広がっていくなと思います。
ジンは、ストーリーがある方が売りやすい。僕は正直小林さんほどジンに詳しくはないですが、理化学で蒸留器のビジネスをずっとやってきた延長線上で、『ジン用の蒸留器をつくる』ということが新しい展開に繋がって、それはとてもありがたい話なんです。
ジンの裾野はさらに広がっていっています。特に女性が呑むようになってきていて『お酒は好きじゃないけど、ジンは好き』みたいな、ジンをお酒と別のカテゴリーで捉えている感覚も出てきました。
結局これは、すべてが街の繋がりの中からスタートしています。相手の人となりを知ったことによって『一緒にやろうかな』とも思えているから、これまであった街のイベントも、お互いを信用するのに必要だったプロセスだったと感じる。深川がそういった機会ある街だったのも、すごく大きいことだったなと思います。
一緒に活動することで人も見えてきて、いい加減な人かそうじゃないか、それが経験を通じてお互い確認し合える街なんです」。