【第3回】自由の森学園が、電力をみんな電力に切り替えた 理由 ( わけ )
読みもの|5.3 Wed

  学園の運営サイドにある想いは、子どもたちの未来に、責任ある大人として、どんな持続可能な社会を残していけるのか。
 大事な判断や運営を他人に任せ、文句を言うだけの態度は、自由の森学園にはない。「誰かが動いてくれる」という、人に頼る姿勢はよくないとの理由から、これまで生徒会はつくられておらず、自発性を重んじる校風の中で、子どもたちは育てられていく。
 電力にまつわる状況と重なる部分も多い教育のお話には、私たちが生活の中で参考にできる示唆が多く含まれていた。
 自由の森学園・鬼沢理事長インタビュー、最終回です。

 

昔ながらの写真部暗室。理事長はここの責任者でもある

ーエネルギーについて、例えば今後発電まで手掛けるとか、構想は?
鬼沢 この前の保護者会で、「ちょっと夢を語らせてください」と話したことがあります。
 ここは林業の町です。だから「里山資本主義」的観点でいくと、これだけエネルギーのある地域で、太陽光はさることながら、やっぱり「バイオマス発電を本格的にやるべき?」と僕は思っております。
 煎じ詰めて言うと、「エネルギーを都会に依存している以上、地域は自立できない」という一つの説を考えるならば、この地域にバイオマス・エネルギーは無尽蔵にある。その資源を何らかのエネルギーにしていく道筋は、この地域を活性化する上で「重要なんじゃないの?」って。ある意味ここは、油田の上に浮いている感覚なわけだよね。
 そのためのシステムが確立しているわけではないけれども、この前も興味を持ったグループが、フィンランドの小型バイオマス発電装置を買って、それで発電していくというプロジェクトを提案していました。そういうことを言い始める人たちがいて、小規模でも、発電ができる商品の値段まではわかっていて、買えば補助金がいくらで、いくらまで自分たちで集めれば実現できるかもわかってる。
 手持ちの資金があるわけではないので、すぐにではないけれど、僕は子どもたちの教育、および地域の自立、その他いろいろ考えた時に、この学校の上に太陽光パネルを付けるのは「ありきたりかな」って。
 それよりは、地域の特性を活かしたバイオマス発電のプラントが敷地内に据えられて、子どもたちが週1回は山に入って間伐材を運ぶという作業や活動とミックスさせて、「オレたちが運んだ木材燃やして、この電気あるんだぜ」ってなったら、「全然話が違うだろ?」って。そうした先で、「おまえ、どれだけ苦労したと思ってるんだ」って話になりながら、「教室の電気消せよ」となるような気がするんです。それは、私の夢ですけれど。

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校内には、すでにペレットによる暖房器具が設置されているところも

ー保護者の方々の反応は?
鬼沢 「こんな財政難の中で余計なこと考えるなよ」と思ってらっしゃる方と、やっぱり「そういう学校に子どもを預けたい」と思う保護者、それぞれいるでしょうし、これも両方です。まあ、まだ夢だから(笑)。実際に何千万円も出して「これを買いますよ」となれば、その時に「こっちが優先じゃねえの?」という議論も出てくるでしょう。
 さっきのフィンランド製のバイオマス発電装置の話は、「自由の森で買ってよ」と言われてるの。売電すると補助金は出ないけど、売電しないで自分で使う分には補助金が出る。そうすると全体の費用の半分くらいはなんとかなって、現実味を帯びてきて、、もちろん、木材を乾燥させる施設は必要ですけど。
ーそうして実際に森の資源、エネルギーを自分たちでまわせるようになっていく。
鬼沢 電気を自給するということよりも、一つの教材だよね。つまり、どう電力がつくられて、どんなエネルギーをどうしていくのかという一環した流れを実践する。
ー循環型社会を学園内で実現させ、それは、ご専門の林業とも直結していく。
鬼沢 林業関係者には「燃すのか、オレらの育てた木を」という想いはあるんです。でも、間伐材をきちんと運んで手間さえ惜しまなければ、何とかまわせる可能性はある。
 森を枯らしてまで電気を得るのはおかしいと思うけれど、周辺の間伐材でまわしていければ、例えば寮の電力をそれで賄うということはできる。実は、体育館の暖房はすでにバイオマスなんですよ。ペレット燃料を使って、もともとの重油ボイラーの老朽化ということもあって、原発事故の前からすでにやってたの。

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体育館の暖房設備の前で

ー積み上げてきた経験もある。
鬼沢 一つずつそういう風にやってきて、みんな電力という話は「購入先を替える」というだけだから、ある意味で大したことない(笑)。もちろん大したことなくはないんだけど、つまり、何かの設備を買うとかということではない。
 来年度は教室を全部改装して、蛍光灯をLEDに替える予定です。あとは、この校舎は今も重油ボイラーなんですよ。なので、重油はもうやめて、みんな電力さんからの電力で動くエアコンに一本化すると。一応確認の連絡もして、それでCO2の排出はだいぶ軽減できる。だから来シーズンの11月以降は重油とおさらばです。
 それで、生徒たちがみんな電力の八王子の牛舎なり、発電事業者さんのところに行ったりするのはこれからだね。でも、この前の学園祭ですでに、みんな電力からソーラーパネルを借りて何かやってたよ。だから生徒たちの意識としても、みんな電力のことはしっかりある。
 あとみんな電力は、三重にバイオマス発電所をつくってるでしょう?あれも、できればスタディ・ツアーみたいのをつくって、やってみたい。たぶん、そういうのに乗ってくる子どもたちはたくさんいるんだよね。そういうことができそうだから、ウチはみんな電力にしたんだよ。
ーありがとうございます(笑)。
鬼沢 みんな電力と共同でツアーをつくって、「三重のバイオマス発電所を観に行こう」というタイアップをしましょう。ちょうどウチは今、いろんなスタディ・ツアーを企画しています。修学旅行じゃなくて、それぞれの講座の中にあるテーマに沿って、自分たちでツアーをつくる。その講座をとっている1年間の学習の中に、ツアーがあるの。
 さっきの環境学でも「オフグリッドの家を見に行った」とか言ってたけど、それだけじゃなくて、「バイオマス発電所を見に行こう」でいいわけ。僕だったら、「森林が壊れるとどうなるか」ということで足尾に連れて行ってるんだけど、エネルギーについては、学園だけじゃ説明しきれない部分もあるから、どなたか話して下さる方にコーディネーターとして付いてもらって。

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理事長による、「森林が壊れるとどうなるか」という栃木県の足尾へのスタディ・ツアーの様子

 大事なのは、子どもたちがそこで学んで、自分たちで価値観を形成していくということ。つまり、この話は「オレたちの世代だけじゃ、カタつかねえな」と思うわけです。だって、これだけの人たちが「原発はちょっと危ない」、「少々高くても違う電力でいきたい」、「原発停まっても電力も十分余ってる」ということもはっきりわかって、さらに東芝の例もあって。
 だから、もともとの根拠がどんどんなくなっているにも関わらず、なおかつ「原発が崩れないのはどうして?」って、それは問いなわけです。僕らもその答えを持っていないし、だから生徒と共に考える必要がある。その時に、みんな電力ってところが面白そうだから「付き合ってよ」って言ったら、「付き合ってくれる」と言ってくれた(笑)。
 そもそも、電力会社の人たちと、こうやって顔を突き合わせて話をするっていうことは、あの事故前はありえなかったでしょう?この問題をきっかけに話ができるし、僕らも「こういう取り組みをしました」って発信ができる。
 あとは、「消費で世の中を変えられる」ということも授業で言っています。僕らの消費活動で世の中が変わることがあるんです。
ーどこにお金を落とすかということが、社会を決定づける。
鬼沢 下手をすると、選挙の一票より大きいことだってありえる。そのことは、子どもたちも気づいてくれてるんじゃないかって思うけど。
 学校の電力って月百何十万円って使っているわけで、それがどこに行くのかって実は大きい。そこで「未来に責任を持つ選択を大人がする」というのが、当然のことだと思っています。
ーご自身の考えは少数派という意識ですか?ご自身の考えに呼応する方が増えてきた感覚はありますか?
鬼沢 そもそもこの学校ができた時は、管理主義、受験競争まっしぐらの教育界だったけど、今は階層分解もして、自由の森のような中身をそれぞれが取り入れている学校もなくはない。トータルから見れば、かつてのような激烈な管理主義は影を潜めて「楽しい学校」、「話のわかる先生」みたいな流れは広がってると思う。それは子どもの数が減ってるとか、いろいろ要因はあるにしても、この学園ができた時、新聞やテレビがセンセンショ−ナルに取り上げたみたいな、そういうことはなくなってきた。そこは逆に言うと、ウチが埋没し始めているとも言える。
 そういう意味では、必ずしも単独の少数派ではない。ただ世界は「生き残ってナンボ」でもあって、現代は学校すらも数値評価されて、競争させられています。一方が緩くなっている反面、ギュッと絞めてくるパワーも混在している。ウチは「アンチ競争・管理教育の老舗」だけれど、だからって「このままで大丈夫?」という気持ちもある。やってきたことに間違いはないんだけど。
 生徒を集めるのにだって簡単なことじゃない。「自然エネルギーを使ってます」で生徒がドッと入ってくればそんなに嬉しいこともないけれど、それはそれ、これはこれ。子どもの教育は、自然エネルギー云々に関わらず「ガッチリやらなきゃ」という一般の想いは、やっぱりある。
 「生き残ってナンボ」の社会は、みんな電力にしてもそうでしょう?
ーおっしゃる通りです。では、標榜されるモデルケース的なものはありますか?
鬼沢 北欧は一つのモデルだと思うよ。一つの雛形として、オランダの教育も参考になるし、俗に言う「福祉国家型の教育システム」は、取り入れられる限りは取り入れる。フィンランドなんかは、極めて競争を抑止しながら、でも語学あたりは特に力は付いていて、そういうことは視野に入っているよね。もちろん、それをこの日本社会でただ猿真似しても仕方ないんだけど。
ーそこにある最も重要なエッセンスは?
鬼沢 これは、学園のキーワードでもあるけど、自由と自立、そして平等。そういういくつかの言葉だけど、残念ながら「自由」は時代の中で変色してうつるようになってしまった。今自由は、いきなり「自己責任」で「切り捨て」というものにストレートに繋がるので、必ずしも魅力としてうつらない場合が多い。もちろん根源的な「自由」は求め続けていますが。
ー「自立」は、今だからこそ有効に響く言葉でしょうか。
鬼沢 そう思います。「自分の力で立っていく」ということを、学校がサポートする。それが本来の公教育の在り方ですから。

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言いたいことがある生徒はそれぞれ自分で意見を言いにくる。そんな校長・理事長室の看板も、生徒作

 

(取材:平井有太)
2017.3.7 tue.
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