【第1回】保坂展人|環境都市をつくる世田谷区長
実は昭和33年から続く、長野県企業局による水力発電事業。高遠さくら発電所は、余剰な流水を有効活用する小水力発電所
2期目も中盤に入った区長としてはもちろん、『闘う区長』(2012年、集英社)、『脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?』(2016年、ロッキング・オン)をはじめとした多くの著書で、作家/ジャーナリストとして認識している方も多いだろう。
エネルギーをセレクトできてコネクトするポータルサイト「ENECT(エネクト)」では、世田谷区が全国に先駆けて牽引する「新たなエネルギーのあり方」について、独占インタビューを敢行した。
世田谷区と長野県、または群馬県川場村との自治体間連携が可能にした、「顔の見える電力」とその機能とは。氏は、将来的にはもっと、新しく一緒に再生可能エネルギーの比率を上げていける会社が、区内にも全国的にも増えていくことを望んでいると語る。
全3回の、初回です。
世田谷区としても、地域電力会社をつくるべきなのか、まだFITもはじまってなかったし、そもそも全体の制度設計がはっきりできていませんでした。その後、一つには1年後の春にPPS、区の新電力の導入が話題となり、世田谷区がそういった契約を実行したことで大きくマスコミにも伝えられて、合わせて経済産業省から電話もかかってきたんです。
それは「ありがとうございました。」、「我々がいくら宣伝してもダメだったけれど、世田谷区が契約してくれたことで非常に広がりました」という内容でした。実際に東京23区でも、世田谷区が契約した1週間後に他の17区が「やります」と表明したくらい動いたという、それはまず一つの段階でした。
意識していたのは、国全体の戦略として「エネルギー政策というのは、どう変わるのか」ということ。そしてそこはやはり、「川下から変わる」と確信していました。つまりは需要家、ユーザー、消費者に近いところから変わるとなると、「自治体の果たす役割というものは大きいよね」と考えていました。それは海外の例などを見ても明らかでしたので。
ただ、それでも「世田谷区として何をどうやっていくべきなのか」というのは、まだそんなに見えていませんでした。とにかく事例を見ている段階で、よもや今回の、電力自由化後の大きな自治体間連携ですとか、そこまでの明確なものはなかったんです。
その話を受けて、2つの柱を描いたんです。一つは、これは世田谷区においては屋根にソーラーを付けるのが主だけれども、「自治体の中での自然エネルギーの、地元での生産、地産地消」。とはいえ区にはこれだけ住宅が密集しているので、もう一つは、例えば南相馬市でソーラーの展開があれば、そちらを「『被災地支援』という意味も込めて、電気を買えないだろうか」という話をさせてもらったんです。
だからその時からあまり変わってないのは、「『地産地消』と『自治体間連携』をエネルギー政策の2本柱でいこう」ということ。ですから、そのシンポジウムが2011年にあって、PPSが2012年の春にきて、そうして2012、3年と、いろいろなことをやってきたという流れです。
満員で、熱気溢れる世田谷新電力勉強会の様子
なぜそんな勉強会をやったのかと言うと、要するに「ニーズと供給を一致させよう」という目的がありました。つまり生協の場合、その成り立ちは、八百屋やスーパーで売ってる野菜に使われている農薬が今よりも強くて危惧されていた時代、「消費者が野菜を選べない」となって、もっと選択的に「無農薬、低農薬の野菜を食べたい」という都市住民がいた。じゃあ「トラックで産地に行って運んできますよ」という、「産直運動」がはじまりなんですね。
そこで思いついたのは、「『電力の産直』というのを考えてはどうか?」ということ。それで実際に都の生協の連合会に頼んでアンケート調査なんかをしてもらうと、「東電の電力より高くても、再生可能エネルギー由来の電気なら買いたい」という人がかなりの割合で出てきたんです。
それで、「電力を自分たちで選ぶ時代がくるんだ」というイベントを昭和女子大学でやって、そのイベントには大勢の人が集まりました。そこでの新たな発見は、来てくれたのは生協関係者だけじゃなくて、意外と一般の事業者も多いということだったんです。
いろいろなビジネスの可能性として、多様な方々がそのイベントを嗅ぎつけて来られていて、そういった人たちと名刺交換をし、そのあたりから「『新電力研究会』というのをやってみよう」と、はじめてみたんです。2013年頃、企業向けの「電力は自由に選べる」というエネルギー勉強会をやってみると、そこでまた相当な企業が集まったんですね。
売電の収益を環境事業に活用している世田谷区。みうら太陽光発電所は地震や津波、火災など災害発生時に一時避難所としても使用できる
次回へ続く