【第1回】千年、未来を繋いできたキャラバン
1000年も前からサハラ砂漠で続く、トゥアレグ族の4ヶ月に渡る「塩キャラバン」に、フランス人と日本人の両親を持つ国際ジャーナリスト・デコート豊崎アリサが同行。多くの示唆をくれる、一本の映画に昇華させた。
その苛酷さは言うまでもない。しかしアリサ監督は当たり前のように、彼らとキャラバンの自給自足の在り方にある、現代の私たちが失いつつある、底抜けの魅力について語ってくれた。
渋谷アップリンクでの上映後、携帯用ソーラーパネルで砂漠での撮影を可能にした監督との、対談の記録である。
サハラ砂漠を出て、サヘル地域を南下する塩キャラバン
©alissa descotes-toyosaki
じゃあ一人で撮るとして、ラクダに乗ってカメラを持って、そこまでイメージすると「どうやって充電するの?」って。これが本当にネックで、解決法がしばらくわからなかったんです。
パリにいる頃、たまたまTVでベネディクト・アレンという、BBCで番組を持ってる冒険家を観て。彼の番組はとても面白くて、例えばナミビア砂漠を2、3ヶ月一人で横断して、自分で自分を撮影してるんです。最初は「他にクルーがいるなんて、冒険家じゃない」って思ってたんだけど、最後のクレジットは全部彼の名前で。
私はそれですごく感激して、直感的に「連絡とるしかない」って(笑)。「どうやって撮ったんですか?私もこういう映画を撮りたい」と言って、ロンドンまで行って実際に会ったんです。そうしたら彼も、BBCとは予算も違うけど、あなたの話を聞いていると、作品を観てみたいと。「撮影はソーラーパネルでできるから、是非いってらっしゃい」と、勇気づけてくれました。
ソーラーパネルをラクダの上で充電しながら砂漠をゆくアシスタント、バルダラン
©alissa descotes-toyosaki
夕方の4時頃、砂漠の強烈な太陽がやっと下がる。そんな時間を楽しむキャラバンの子供達
©alissa descotes-toyosaki
キャラバンは今も続いています。そして去年の9月、12年ぶりに彼らに会いました。2003年に別れた時、「完成したら映画を観せる」という約束をしていたので、12年もかかっちゃったんですが(笑)。
再会の時はおかしかったよね。だって彼らには電話もないから、事前に「行く」って伝えるとかそういうこともない。12年ぶりでもいきなり会いに行くしかないし、でもすぐわかってくれて。夜だったから、声を聞いて「え、アリサ?」って。
60歳以上のおじさん「アムラール」は水が足りなくなって何回も死にそうになったが、キャラバンをずっとやり続ける
©alissa descotes-toyosaki
昨年末2回のみのプレミア上映に続き、この4月に1週間、渋谷UPLINKにて、トーク付で上映された
若者は確かに減っています。映画の中に出てくるティーンエイジャーは、再開したら28歳になってたし、彼らはやっぱり「携帯買いたい」、「バイク欲しい」という風になっていました。
砂漠の岩塩を売るオアシスの女性。遊牧民にとっては家畜を浄化する貴重な塩である
©alissa descotes-toyosaki
そんなタイミングで彼らは映画を観て、「うーん、やっぱり格好いいな」ってなって(笑)。それは私の目的として、すごくよかったし、嬉しかった。
お父さんと息子がキャラバンを導く。子供は10歳から同行しながらお父さんから砂漠のあらゆる知恵を覚える
©alissa descotes-toyosaki
そこでまず、この塩キャラバンをユネスコの世界遺産に登録しようと思っていて。そうやって支援プロジェクトを立ち上げているんですが、彼らがお金をちゃんと稼げて、そのお金で若者を雇えるようになればって。今より、ちょっとだけもキャラバンが現代化すれば、続けられると思うんです。
5月23日(火)は渋谷UPLINK、25日(木)は豊田市・橋の下映画祭で、トークとライブ付で上映される
Alissa Descotes-Toyosaki
1970年、パリ生まれ。
日本人の母とフランス人の父を持ち、二つの文化の間を旅しながら育ったデコート・豊崎アリサは、ジャーナリストという職を自らの生き方として定めることとなった。
2006年にトゥアレグ族の遊牧生活を支援するためにサハラ・エリキ協会を設立。以降、通訳またはキャラバンの一員として旅の日記を綴っている。
彼女のジャーナリストとしての活動は2011年の東日本大震災を機に本格化。現在はパリ、東京、ニジェールという三つの拠点を行き来しながら、激動する現代と人類の生き残りに焦点を合わせ、ニジェールのウラン鉱山などよりスケールの大きいルポルタージュに挑み、フランスや日本に発信している(GEO MAGAZINE、DAYS JAPANなど)。