【初回】老舗銭湯「電気湯」のサステナビリティ
読みもの|1.18 Mon

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メイン画像、男湯の赤富士を描かれたのは、もう日本に2人しかいないと言われる銭湯絵師・中島盛夫さん

  まったく予想外のところから現れた、みんな電力の頼もしい仲間。
 墨田区は京島で創業100年以上の歴史を持つ、老舗銭湯「電気湯」。まだ20代で、家族にも「後を継ぐ」と言ったら驚かれたという若き経営者、大久保勝仁さんのお話です。
 どちらかと言えば廃業の話を耳にすることが多い銭湯。しかし、建築学科で都市デザインを学んでいた大久保さんは、実家の家業が街づくりの観点から重要な役割を担っていることに気づきます。また、国連本部で日本の若者代表としてSDGs特使の大役も経験したことで、サステナブルな銭湯経営を標榜するようになり、その中で自らに冠された「電気」の部分をブランディングする一環で、みんでんを見つけてくださいました。
 聞けば聞くほど、運命的に再エネを取り入れ、そして一緒に広めていけそうなポテンシャル。全3回、間延びすることも一切ありません。ぜひ、お楽しみください。

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大久保 浴場経営しているところには組合があって、組合に入っていればそれこそボロボロの銭湯も、例えば同じ墨田区だと黄金湯とか大黒湯みたいな、ちょっと有名なスーパー銭湯みたいな格好良さのところも、値段は一緒です。
ー墨田区で考えると御谷(みこく)湯さんは温泉で同じ値段です。
大久保 あれは470円ヤバいですよね。それから鶯谷にある、台東区の萩の湯は本当にスーパー銭湯みたいな施設なのに、やっぱり470円で入れるのですごいです。そして、それ以外のところが実際にスーパー銭湯と呼ばれる人たちで、そうなると入場料はいくらでも高くできます。
 あと墨田区には「にこにこ入浴デー」という、浴場組合に入っている銭湯は65歳以上の方が一律無料の日があるんです。週一回65歳以上が無料で、その受付日が木金なんですが、そこを休みにすると無茶苦茶怒られます。この前、僕は長野県の松本にある銭湯と繋がりがあって、そこへの挨拶で金曜日に休んでしまったことがありました。それは今でも反省しています。
 そこは菊の湯さんという銭湯で、そちらには僕がやっている「電気湯ラジオ」に出ていただきました。

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菊の湯さん、喜楽湯さんと

ー「電気湯ラジオ」、、?
大久保 それは電気湯の関係者が出てきてとにかく雑談をしていくという(笑)、ネットで聴けるラジオなんですが、菊の湯さんは本屋が銭湯を引き継ぐんです。僕の場合は将来的に「銭湯でお金を貯めて本屋をやろう」と思っているので、ご縁を感じて挨拶しに行きました。その時はそれで戻ってきたら、組合に呼び出されてしまったのでした。
ーでもそういった厳しさも、銭湯の存続を真面目に考えてらっしゃるような印象で、いいことのような気もします。

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大久保 そこは、はい、そう思います。
 とはいえこの無料サービスの日は、運営側としては無料で来て、シャンプーを盗んで帰る人なんかもいて大変なんです。ウチはもともと地域のお客さんが多くて、若者が少なかったのが最近やっと増えてきたんですが、それで最近理解できるようになったことがあります。
 僕も、もともと「にこにこ入浴デー」推進派だったんですが(笑)、その木金は若者と、もともとのお客さんの間のトラブルが増えがちということもあるんです。
 地域としてこの辺はもともと風呂なし物件が多い。おかげでウチがもってるということもあるんですが、この前は隣の人のシャンプーを使っちゃったおじいちゃんがいました。そのおじいちゃんは「初めて来た」と言ってて、何とか「無料のシャンプーあるから」という説明をしてその場をおさめました。そうしたら別の常連さんから、「あの人オレのシャンプーもとってたよ」という報告があって、そういうドラマはいつもあります。
ー地域のドラマの舞台でもある電気湯さんは、創業何年でしょうか?
大久保 今年の夏で100年です。
ー1世紀、、それは遡ると大戦も大震災も超えますね!

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大晦日の夜。一年の最後、自転車の数で、地元の方々がどれだけ電気湯に来ているかがわかる

大久保 だいたい残っている銭湯は和式で木造で、震災の揺れもしなって助かったみたいなケースが多くあります。ウチはさらに建て替えているので、今はこんな見た目になっています。
ー空襲で、同区内でも本所のあたりは焼け野原になってしまった理解です。
大久保 運良くこの一帯は大通りに囲まれていて、爆弾がちょうどこの一角の中にも落ちませんでした。裏手の一帯も「木密地区」と呼ばれる木造密集地域なんですが、そこら辺が残ったのも同じような理由です。
 だからそういう物件が多くて、最近はアーティストの方々が長屋を買い取って何かやるみたいなことも増えています。そういうことで、この辺は結構面白いんです。
ー「電気湯」の名も当時から?

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大久保 いえ、100年前は「第4香藤(こうとう)湯」という名前でした。メンバーに銭湯の研究をしている大学院生がいて、その子が資料を持っているんですが、たしか僕の祖父の代で「香藤湯」になって、「電気湯」という名になったのは建て替えたタイミングの、比較的最近です。名付け親は、僕の父の母のお父さんのはずです。恐らく(笑)。

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 名前の由来は僕の祖母、おばあちゃんに聞いた限りではありますが、「電気で沸かしてたから」ということで、「そんなのウソだろう」と思っていたんです。でも、ある日大掃除をしていたらすごく太い電極が出てきたことがあって。いくらその用途を考えても、お湯を沸かす用としか考えられないサイズではありました。
 銭湯ってもともとはみんな薪で、今はほぼほぼガスなんです。それなのにわざわざ電気で沸かしてたことがあるって、すごく面白い歴史だなと思っています。電気湯という名前の銭湯が国内だと大阪か東京にしかなくて、大阪の方はたぶんもう潰れちゃっていると思います。
ーてっきり下町における「電気」は「電気ブラン」みたいな、当時の「ハイカラ=最先端感」を演出する上での名前かと思っていました。

内観_自慢の高い天井

自慢の高い天井は、改装後も健在

大久保 僕も最初はそれを予想していました(笑)。でも、違ったんです。ガチで電気で沸かしていたということで、おばあちゃん曰く「電気の方が安かったから」というんですが、「そんなわけないだろう」って。
 でも、「ボイラーつくるお金がなかった」みたいな理由はありえそうな気がします。ボイラーって高いので。
 ですから、「電気湯」を引き継いだ時は「名前勝ちだろう(笑)」ってみんなで言っていたんですが、最近はその「電気」の部分を全然ブランディングできていないんです。電気湯の名は、僕は今27なのでその前、30年くらいなんだと思います。
 僕はこの建物の3階で生まれ育って、ここに住んでいるのはおばあちゃんで、ここに来てはラムネを食べてバイバイするのがいつものパターンで、記憶の中ではその時から電気湯です。でも、ウチも今やガスで沸かしています。
ー元に戻っているんですね(笑)。
大久保 ですからたぶん、沸かすのは薪〜電気〜薪〜ガスみたいな流れなんだと思います。1920年の最初から電気ってことはないと思うんです。
 先ほどもお伝えした、メチャクチャ資料にあたっている銭湯を研究しているメンバーですら、ここが創業した時の資料を見つけられていません。そして、組合の一番昔の資料にもここはあったので、確実のその前からあるというか、100年以上かもしれないし、もしかしたら100年以下ということもありうるかもしれません。

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下町で、銭湯カルチャーの核心に迫るお話と、そこに再エネが加わることで紡がれる未来。次回は25日の公開、お楽しみに

 

(取材:平井有太)
2020.12.07 mon.
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