【前編】嬉々!! CREATIVE studio COOCAと北澤桃子さん
初訪問の日は前が見えないほどの大雨で、東京から、本当に命の危険があるかもとハラハラしながら何とか辿り着いた、神奈川県は平塚駅前商店街のGALLERY COOCA(クーカ)& CAFE。急いで車を停め、2階の所属アーティストたちのアトリエ空間に一歩足を踏み入れると、その暖かく弾むような空気に、身体が丸ごと安堵したのを覚えている。それは、そこに至る建物入り口から階段、廊下まで所狭しと飾られたアート作品が、心を揉みほぐしてくれたからだったかもしれない。
ここに所属しているのは、なんらかの障害を持つ、しかしそれぞれに溢れる創作意欲と共に、日々ここにしかない作品を生み出すアーティストたち。
母体となるstudio COOCA(スタジオ クーカ)は2009年同市にオープン、お邪魔したギャラリー&カフェは2015年にオープンした。当初からGALLERY COOCA施設長を務め、これから独立し新たな株式会社&一般社団法人設立に奔走する節目のタイミングで、北澤桃子さんにお話も伺った。
ー昨今特に、ご活動に注目が集まっているのではないでしょうか。
北澤 近年やっぱり、オリンピックの前後にお声がけいただく機会が増えました。それは作品展への出展依頼、企業とのコラボなど、そのあたりのことは、一過性にならないように気をつけようという意識があります。
ーそれはどのような意味でしょうか。
北澤 私自身福祉の世界に入ったのは2003年まで遡ります。それがスタジオクーカという団体としてだと、2009年がはじまりになります。その中で、「障害者アート」という言葉をあまり好まずやってきたのが私たちでした。
ただオリンピック/パラリンピックの関係となると、どうしてもパラリンピック合わせの「障害のある人のアート」という切り口に注目がいきます。そこについてはフェアに、もちろん障害のある人がつくっている作品であることは事実なわけで、それでもなるべく、その作品の魅力とかインパクトで商品化したり、作品展を開催してきた経緯があります。そういった要素を大切にしながら、ブランディングしてきました。
それは、「障害のある人のアートです」という風に言わないことで、今の世の流れ、それこそ「SDGs」ということも盛んに言われていますが、語弊があるかもしれませんが、なるべくそれに繋げて「消費されない」と言いえるでしょうか。できるだけご本人、ご家族、それぞれの施設が望むかたちで表に出ていけるよう、お仕事を選ばせていただいてきました。
ーお話を伺う立場では、言葉として「障害者アート」という単語を使わざるをえなくなってしまって恐縮なんですが、、
北澤 わかりやすいのでそうなってしまうのはわかりますし、事実はそうですので全然問題ありません。ただ、ブランドを使っていただく時のイメージはとても大事にしていて、私たちが本当に「誰かの心に届く作品だ」と思っているものを発表しています。そこに冠として「障害のある人の〜」と付けるのは、あまり好まないという感覚です。
ー作品の魅力について、どのように説明されていますか?
北澤 私の立場としては、「一ファンとして」ということだと思います。その人の背景が見えるということについては同じなんですが、ファインアートを学んできた方の作品には、歴史が踏まえられていたり、そこに技術が見えたり、勉強してきた道筋が見えることがあると思います。
ハンディキャップがある方々も勉強してきたり、美大を出た後に精神的な生きづらさが出てきて施設を利用される方や、それぞれケースバイケースです。
クーカに所属される方々の作品というのは、ストレートに、技術とか云々というよりも、内側から出てきたイメージとか、モチーフを外に求めるとしても、例えば雑誌や外国の写真集をインスピレーションや素材にしつつ、言葉を超えて、とにかく「エネルギーがほとばしって」います。
それを受けて「これは真似できない」感覚というか、ファインアートを見るのとは違う感動があります。作家それぞれの背景が障害なのか、人生そのものなのか、一人一人違う個性が出てきます。勉強してきた方たちのアートすべてをもちろん一般化するつもりはなく、そこの個性も個別なのですが、勉強をしてきた先の「いかに人と違うように」「より上手く」みたいなところからは離れ、ある人が「今、やりたいようにやったらこうなった」というストレートな想いを、エネルギーとして感じられるのが(私たちが共に活動するアーティストの)魅力かなと思います。
ー作品を商品化する時の、基準みたいなものはありますか?
北澤 ここには結構長くいらっしゃる方が多くいます。どなたでも最初の1、2年はどんなことをしたいかを眺めさせてもらうようなところがあります。
アーティストの一人に、会った時からシャチが大好きで、シャチの話しかしない方がいました。彼の場合は自分の世界ができあがっていて、最初から「これで何か商品をつくってくれる?」みたいな入り方で、そういうインターバル時間がないケースもありました。
ただそれはたぶん特例で、最初にそれぞれ得意なことを見極めながら、その人の個性が十分に出てくるよう、あとは個人を認識できる作風ができていることが、まず一つあります。
一人一人のメンバーに担当者がつくのですが、その担当者から「今この人がアツい。キてる」みたいな、「旬」という言葉が適切かわかりませんが、「まさに今!ノッてるよ!」みたいなところをなるべくキャッチしながら、全体のディレクションに活かしています。
ー実際これまで、どんな商品をつくってきましたか?
北澤 90年代頃、もともとは手づくりのポストカードやブローチみたいなものが主流でした。その先で、そもそもは「印刷モノの商品をつくりたい」というタイミングで、2003年にデザイン担当として加入した背景があります。
手づくり商品には、皆の給料を支払おうとする上での限界があります。印刷モノで、例えばポーチやハンカチなら、コンセプトとしては「美術館によく行く方が、ミュージアムショップで見かけた時に買いたくなる」ような質感や価格帯を目指しています。そういった布モノが多くて、コラボではTシャツもあります。
ー作家さんの、ご自身の作品が商品になった時の反応はいかがですか?
北澤 それは本当に人によって、ご本人や親御さんが熱狂的に買ってくれて広めてくれる人もいれば、「フーン」ってただ通り過ぎるような人もいます(笑)。つくる過程に楽しみや喜びを見出している人もいて、こちらが思うほど、展覧会への出展が響かない人もいます。
でもやはり、自分の作品が商品化されて、販売され売れることで、お給料として還元されるところに喜びを感じている人が多いです。
ー活動の中で、ご苦労はどんなことでしょうか?
北澤 一人一人との対応や毎日のことで苦労を感じるわけではありませんが、何でもどんな仕事でもそうなんだろうと思うんですが、人間関係が難しいなと思います。
メンバー間で、どうしても声が出てしまう人、独り言が大きな声になってしまう人がいますし、あとは特性として叫んでないと気が済まないような人もいます。エネルギー溢れる人が多い事業所では、その声を聞いた女性が怖くて泣いちゃったり、ある意味で「これは社会の縮図だよね」ということも感じます。これが健常会社だと、普通は表面的には出てこない問題が、みんなが結構ストレートなので、感情や声がワーッと出て個性がぶつかり合うみたいなこともあります。
あとは、誰の作品をどんな頻度でピックアップして、なるべく偏りなく展示や商品を展開させていくことにも苦労します。
北澤桃子さんのご活躍は、コチラをチェック!↓↓
https://www.kikicreative.jp/