【特別寄稿】西田滋彦 「伊賀・忍者・地産地消の精神」(後編)
人間の生活になくてはならない水は、行政や市民との合意形成が容易ではない。
地番と実際の地形の解釈を巡る攻防は、私が想像する以上に困難が伴うはずだ。
建設工事と一口に言っても想像できない読者もいるだろう。現地を訪問するまで私がそうだった。
建設工事は以下のとおりである。
そして、発電所建屋工事が2018年9月より造成工事が開始される。造成工事完了後、建屋建築工事に着手。水車や発電機が収まるのは地面の下になるので、地下の基礎工事から開始し、12月末で基礎工事が完了。
12月より取水地の工事を開始し、仮設工事を行い、護岸工事(ブロック積)も行う。
松崎社長(写真右)とみんな電力・柿木氏
頭を悩ませる松崎社長に励ましを与えていたのは、大正時代に旧馬野川水力発電が稼働していた事実だ。大正時代の発電所はすべて人の手でつくられている。
大正時代の人間につくれて、平成令和に生きる人間につくれないわけがない。
歴史を知ることは、今を生きる人々に多大な励ましを与えてくれる。
ただ、その意志と同様に、
いや、それ以上に再エネ電源を開発し、電力を生産しようとする意志は強固であり高みをゆくことを、株式会社マツザキは教えてくれている。
ここで生み出される電力のエネルギーは全国の電力需要量からすると、ごくわずかだ。
ただし、小資本のイチ民間企業が水力発電所の再生に生涯を賭けて取り組んでいる。この松崎親子のエネルギーは並大抵のものではない。
私はここまで再エネ発電源の開発に「執念」という名のエネルギーを燃やし続けた人を、知らない。
一般の方に分かりやすい価値である、かわいさ、親しみやすさを訴求し、それらを表現したゆるきゃらが、全国各地に溢れんばかりに存在した。
当時、全国の自治体がかわいさや親しみやすさを売り出す時代の空気感が確かにあった。その時代背景の中、私は上記画像の右下に君臨するいが☆グリオ氏から視線を外すことができない。
そして、何故ふくよかなお腹をそのまま表現しているのか。
そういった価値判断基準を超えて、シンプルにそこにある、ただ「存在していること」(=ふくよかなお腹)こその価値を、いが☆グリオ氏は存在で語っている。
この世にごく自然に存在しているからこそ、価値を宿している。
そのことをいが☆グリオ氏は教えてくれる。
世間の空気感に流されることなく独自の価値基準を設けるのは、古来より引き継がれた伊賀の文化であり歴史であるように思う。
本投稿記事では、この二つについて取り上げてきた。
これらは何の関係もなさそうに見えるが、忍者の血を引く私には分かる。
この2つに共通するのは「自治の精神」だ。
伊賀の源流には確かに強固な自治の精神が存在している。
これを重んずる風土が伊賀にはあった。
戦国時代に、伊賀を統治しようとする強力な権力者(織田信長)が現れても簡単に屈することはない。
権力者による不条理な命令に対しては、安易に従うことはない。世の中の不条理を正当化させまいとする反骨精神をエネルギー源として、忍者は常人離れした修練を重ねた。
伊賀流忍者博物館
忍者は人一倍自然環境に敏感な職業
忍者は修練のため、親指と人差し指で米一俵(60kg)を持ち上げる鍛錬をしてきた。
忍びの最終目的は自治の実現にあったと私は読み解いている。
誰もが好む忍者の表層的な術だけではなく、奥行きのある忍者の世界観を知るには、伊賀上野市にある伊賀流忍者博物館がうってつけだ。
忍者の術は、世間一般の方々の知覚(対象物の意味の理解)の逆を実現しようとするモノであり、私はそこに忍者とイノベーションとの共通項を見出そうとしている。
世間が想像もできないような、新たな「〇〇の術!」。これこそがまさにイノベーションだ。
忍者は新たな術(イノベーション)により自らの正義を実現させようとする。
古来の伊賀人、そして令和の伊賀人こと株式会社マツザキの正義を直視することで、そのことに気づかされたのである。
国家からの富の再配分という恩恵に甘んずる事なく、地方から自治、自主自律、反骨心、独立、媚びない、依存しない、というキーワードが浮上することを望んでいる。
忍者で描かれる世界は、自治の精神という生物としての根源的な欲求を昇華したに過ぎない。
伊賀に受け継がれる自治の精神なしには、馬野川小水力発電所の再稼働はなし得なかったと私は確信している。
再稼働を果たした真野川小水力発電所の電力は、”再々生”可能エネルギーと呼ぶのがふさわしい。
購入した地酒は、伊賀出張を共にした社員との語りをつまみとして、あっけなく空となる。
伊賀で学んだ地産地消の精神は、
お土産品を購入した人が自らすべて消費するという、形を変えた地産地消となった。
甲賀忍者の末裔として面目躍如である。
西田滋彦 みんな電力 事業本部 パワーイノベーション部
1980年千葉県柏市生まれ。立教大学社会学部でイノベーションを専攻。四輪車メーカーで「走る茶室」をコンセプトにした商品企画に携わりたいとの思いから入社。京都への出向を志願し実現するものの、いつの間にか営業ノルマに対する精神の摩耗を癒す神社仏閣(茶室)巡りに終始することになる。その後、大阪ガスグループのマーケティング会社で「新市場創造型商品コンセプト」に触れる。外資系太陽光パネルメーカーでは創業1年目より8年間国内の再生可能エネルギーの拡大に努める。
再生可能エネルギーの恩恵をより多くの関係者が享受する仕組みの構築を目指し、みんな電力株式会社に転職。イノベーションの実現こそが最大の社会貢献という信念の元、再エネ発電所の電力を中心とした価値の仕入れ、および新たな概念の価値創出の実現に取り組んでいる。
伊賀の忍者にまで通底する地産地消の精神、いかがでしたでしょうか?
あらゆる電気には産地があり、そこに生産者の想いが込められていること、伝われば幸いです。