保坂展人世田谷区長著『<暮らしやすさ>の都市戦略』
読みもの|9.10 Mon

  8月8日、岩波書店より保坂展人著『<暮らしやすさ>の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ』が刊行された。
 北米西海岸はカリフォルニアの北、オレゴン州ポートランドは「全米一暮らしやすい街」として注目を集める、人口約63万の街だ。そこにはナイキやアディダスのアメリカ本社、さらにはアメリカ最大の日本庭園までが集まるが、この街が体現する価値はそれだけではない。

日本庭園

ワシントン公園内にある、5万平方メートルの敷地を誇るアメリカ最大の日本庭園。1967年の開園で、年間平均35万人が訪れる

  そのポートランドへの訪問を重ねてきたのが著者であり、就任7年目の世田谷区長でもある保坂展人氏だ。著者は、ポートランドという街のあり方に刺激を受け、40歳を過ぎて政治家になる以前に多くの時間を費やした文化と表現の現場を思い起こしながら、経験豊かなジャーナリストとしての手腕を十二分に発揮。さらには、55歳から一首長として人口約90万人の自治体を牽引する立場から、同街に傾ける情熱と世田谷区への愛情で本著を著した。
 本著は、必ずしもエネルギー問題から街づくりを語るものではない。
 しかし、本文中にもたびたび出てくる「暮らしやすさ」というキーワードの実現には、社会を「持続可能」で「地産地消」、さらには「循環型」といった、これまでの「経済成長」一辺倒の価値観とは一線を画す姿勢が必要になる。そして、そもそもは2011年4月に「脱原発」を掲げて世田谷区長に当選した著者が、ポートランドが脈々と受け継いできた街づくりと、新しいエネルギーと共に構築されるこれからの社会の在り方を語る時、そこに通底するものが読み取れるのかもしれない。

ファーマーズマーケットにて

ポートランド州立大学(PSU)で毎週土曜日に開催されているファーマーズ・マーケットでのショット

  その象徴として、著者はポートランド市民が1972年に実現させた高速道路撤去の事例をあげる。現在は公園になっている街の一等地で、当時は6車線の高速道路が占拠して排気ガスをまき散らしていた状況を、市民は許さなかったのだ。
 現代における二酸化炭素排出や温暖化に起因する、当然日本だけではない、世界各地での異常気象や原発事故への危機、終わりがないように見える紛争に類似するものは1960、70年頃からあったと著者は説く。現にここ日本でも1967年、東京都知事に当選した美濃部亮吉氏のスローガンは「東京に青空を」であったし、経済成長の対価として見過ごされてきた環境破壊に警鐘を鳴らす有吉佐和子著『複合汚染』(新潮社、1975)はベストセラーとなった。
 本著にはジャーナリスト時代の著者が1980年に聞いた、アメリカ先住民のリーダーの言葉が、今も印象的に思い起こされるものとして引用されている。
「私達の運動はスピリチュアリティ(信仰・精神性)を根底に置いています。今日大半の人々が信仰している対象はお金と人間です。しかし私達の信仰は人間以外の物、水・空気・土・木・鳥について語ります。それら全ての存在なしに人間の存在はあり得ないのです」
 では、その精神を胸に、実際に社会を構築していくプレイヤーは誰なのか。その答えは、著者がポートランドに見出したものとして語ったこの言葉に明らかだ。
「観客席から立ち上がってプレイヤーとなった市民が、力を合わせて都市をつくり変えていくリアルな手応えを感じた街、それがポートランドだった」
 また、本著の帯には建築家の隈研吾氏から、言葉が寄せている。
「人間中心の街をつくる希望と情熱がここにある」
 そこに住む人間が尊重されていることは、本著の中で再三語られる街づくりの必須条件だ。当たり前のように聞こえることを改めて掲げる必要があるということは、つまり現在はそれがなされていない社会だから。だからこそ、私たち市民一人一人は街をつくり上げる主体としての自覚を持ち、それぞれ地域に参加していく必要があるのだろう。

夢キャンパスシンポジウム

世田谷ポートランド都市文化交流協会準備会主催、二子玉川・夢キャンパスでの共催シンポジウム『ポーランドと日本をつなぐ暮らしやすさの都市戦略』

  著者がポートランドに惹かれる要因として、いくつかのキーワードが出てくる。
 私たちには耳慣れない「UGB(都市成長限界線)」や、日本には概念そのものがない、開発後の税収増加を見込んで投資する「TIF」、市民による自治組織「ネイバーフッド・アソシエーション」など、そもそも「そんなことが実際にあるんだ」とその存在に胸が踊る制度が紹介されていく。
 かたや世田谷区には、住民に本音を語っていただく上で有効な「無作為抽出型区民ワークショップ」がある。また、ポートランドと世田谷の交流は遡れば、本著にも度々出てくるある故人の熱意によってはじまった。今すでに、それこそ海を越え、人間と人間の有機的な繋がりが育んだ結晶として「世田谷ポートランド都市文化交流協会(PSACE)」も稼働している。
 著者が標榜する「歩いて楽しいまち」に向かって、「街は変えられる」、「都市は哲学とビジョンによって再生する」と胸を張れる自信を与えてくれる本著。

PSUで講演

2017年4月、ポートランド州立大学(PSU)での著者の講演『89万人都市で自治体と住民でつくる「参加と協働・世田谷モデル」』の様子

  最後に、こちらは再生可能エネルギーの普及に向けて、ふと気づくと無用な二項対立の中で自分と違うものへの批判に終始しがちな自らへの自戒を込め、本著から一文を引用させていただき、今後の活動の糧としたい。
「既存のものをぶち壊し、劇的に変えることが価値を生むわけではない。
 多くの場合は、既得権者を打破するはずの『改革』が、新たな権益を獲得する新・既得権者との交代を促すだけで、暮らしや雇用は悪化するケースが少なくない。
 私たちは、観客席にいて根拠なき『熱狂』と『失望』の間を往復するパターンを終わらせて、街と社会を再設計する時を迎えているのではないだろうか」
2018区長顔写真

世田谷区長 保坂 展人

宮城県仙台市生まれ。教育問題などを中心にジャーナリストとして活躍し、1996年から2009年まで(2003年から2005年を除く)衆議院議員を3期11年務める。2011年4月より世田谷区長(現在2期目)。
著書:「相模原事件とヘイトクライム」(岩波ブックレット)、「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)、「88万人のコミュニティデザイン 希望の地図の描き方」(ほんの木) 近著に「〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ」(岩波書店2018年8月)、「子どもの学び大革命」(ほんの木2018年9月) 他

(文責:平井有太)
2018.9.10 mon.
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