女性ならではの視点で、社会問題を解決する「社会起業家」!
サステナブル・イノベーション・インタビュー
女性ならではの視点で、社会問題を解決する「社会起業家」!
株式会社アバンティ 代表取締役 渡邊智惠子さん
サステナブル・イノベーションを推進する方々からお話を伺い、地球に優しく清新な暮らしのアイデアを探していきます。今年、最初のイノベータ―は、オーガニックコットンのパイオニアで、次々と社会貢献の活動を展開する社会起業家でもある株式会社アバンティの代表取締役、渡邊智惠子さんです。
株式会社アバンティ 代表取締役 渡邊智惠子さん
オーガニックコットンで大地をよみがえらせる!
~まずオーガニックコットンを扱う株式会社アバンティについて、お話を伺います。そもそもオーガニックコットンとは、どういったものなのか、そして事業に取り組まれたきっかけを教えてください。
渡邊:オーガニックコットンのお話をする前に、始めに、コットンの生産現場の実態を説明させてください。
いま、世界の耕作面積の約2.5%に、綿が植えられています。ところが綿の栽培で使われている化学薬剤の量は、地球全体で使用されている化学薬剤の約16%にのぼるのです。
綿の種を植えて育て、収穫するまでには、化学肥料、殺虫剤や除草剤などのたくさんの化学薬剤だけでなく、膨大な量の水も使われています。実は、綿栽培は灌漑用水で汲みあげられた水で行われています。その水の利用が、地下水の枯渇などの深刻な環境破壊の原因にもなっています。
現在、世界の綿の80%が、遺伝子組み換えの種で作られています。その種子が、農民の生活を圧迫しています。それらは、除草剤を撒いても綿が枯れないように、種の遺伝子を組み換えられているとも言われています。
実は、この遺伝子組み換えの種を使うと、次の年、芽がでないのです。農家の人たちは、そのため、毎年お金を工面して種を購入して、綿を育てているので、つねに借金苦にあえいでいます。
これまで先進国が進めてきた綿栽培は、環境にも人体にも、大きなダメージを与える「資本集約型農業」なのです。多くのコットン生産国では、畑で使用する有害な農薬による土壌劣化や地下水の汚染、健康被害をはじめ、低賃金労働など、さまざまな問題が生じています。
~日頃何気なく身につけているコットンが、実は環境問題や人道的にも課題をかかえているなんて、ショックです。
渡邊:コットンがほとんど栽培されない日本では、海外で製品化されたモノを輸入しています。綿製品は、生産・製造プロセスが複雑で、かつ複数の国境を超えるため、だれが、どのように関わっているのかを知るのはとても難しいのです。
途上国の農業には、農民の搾取だけでなく、もうひとつ、深刻な児童労働の問題があります。綿の世界生産量の約80%がインドや中国、ウズベキスタンなどの発展途上国の人々によって生産されています。中でもインドは世界最大の綿の耕地面積を持ち、コットン生産量世界第2位(約20%)を誇ります。
インドの綿花栽培地域では、約40万人の児童労働者がいて、そのうち7割から8割が、6歳から14歳未満の少女です。つまり学校に行かせないで、子どもたちを労働者として働かせているのです。
2013年に起きたバングラディシュの縫製工場のビルの崩壊などもそうですが、劣悪な環境で労働させる先進国のファッション業界のあり方を考える時代となっています。現在、繊維業界では、人道的な搾取や環境破壊など日常茶飯事でおこなわれていますが、悪しき風習を無くしていこうと言うのが、オーガニックコットンのポリシーです。
~「資本集約型農業」というのは、採算重視の農業なのですね?
渡邊:そうなんです。これに対して私たちのオーガニックコットンは、「循環型農業」という、地球環境にも人にも優しい農法です。
・遺伝子組み換えの種を使わない
・農薬などの化学薬剤を使わない
・労働者の人権を守る
・児童労働を行わせない
などを守りながら作っています。
~渡邊さんは、どうしてオーガニックコットンの普及啓発をビジネスとしようとしたのですか?
渡邊: 今年で、弊社は32年目を迎えますが、オーガニックコットンに出会ったのは、1990年です。イギリス人のエコロジストから、「アメリカのオーガニックコットンを輸入してほしい」と依頼されたのが、きっかけでした。その後、一から勉強していく中で、生産現場を直接見たいと思うようになり、テキサスの農場を見学する機会に恵まれたのです。
農場主が手間を惜しまず、無農薬有機栽培法を貫きながら自然と共存してコットンを育てている姿を知りました。そして一面のオーガニックコットン畑を目の当たりにした時、自然の感謝とともに、心の隅々まで解放されていくのを感じたのです。
利益のためだけではなく、ビジネスを行っていく中で、みんなが幸せになり、豊かになるための社会貢献もできるなんて、なんて幸運な人生でしょうと思っています。
オーガニックコットンのスローガンは、「きれいな地球を、子どもたちのために」です。公明正大な目的のため行う事業は、継続したビジネスになると確信したのです。
そしてこの事業をすれば、百年、二百年という長きにわたって持続可能な会社にできると、信じることができたからでした。
ナチュラルな雰囲気のプリスティン本店
ソーシャル事業部の創設のきっかけは、3.11東日本大震災
~創業のきっかけを伺ったのですが、私も御社のオリジナルブランドの『プリスティン』のタオルを使わせて頂いています。これはとても優しい肌触りで、今まで使っていた物とは大きな違いを感じました。
渡邊:ありがとうございます。『プリスティン』には、純粋で汚れていない状態を維持し続けるという意味があります。無農薬で作られた有機綿を輸入し、日本に引き継がれてきた技術を活かしたいとの思いから、糸、生地、製品まで一貫して「メイド・イン・ジャパン」にこだわっています。
「顔の見えるものづくり」のため、できあがった製品は、だれが作ったのかがわかるように履歴を管理しています。また特徴として、オーガニックコットンの畑では、てんとう虫が害虫を食べる益虫として活躍しています。
そして製品はすべて、染色をしていません。素肌にストレスを与えず、家で洗えて、いろいろな場面で使いやすいよう、優しい工夫がつまっているのです。
~先日、渡邊さんの著書『女だから、できたことを』を拝読したのですが、起業なさって、経営者として大切にしている言葉があるそうですね?
渡邊: 思想家の中村天風先生の、「気を高く、気高い生き方をしなさい」という言葉に出会って、深い感銘を受けました。私がこんなに恵まれているのは奇跡に近いのだから、この運を自分のために使わない。周囲と社会のために使うことが、「気高く生きる」と理解して、ずっとそのように生きてきました。
また祖母が、いつも私に、人としての道に外れず、生きるように伝えてくれた言葉は、「お天道様がみてるよ」でした。誠実に、人として正しいことをするという教えが私の原点となり、事業をおこなっていく際、「気高く生きる」という言葉を実行していこうと考えるようになったのです。
~なるほど。現在、ソーシャル事業部を立ち上げられていらっしゃいますが、
どのようなことを目的で事業部をスタートしたのですか。
渡邊:ソーシャル事業部を立ち上げる一年前の2010年、NHKの人気番組『プロフェショナル 仕事の流儀』に私の仕事を、ソーシャルビジネスとして取り上げて頂く機会を得ました。その当時、地球温暖化をはじめとする環境問題がますます深刻となり、私利私欲を追及するより、「公益」を重んじる企業や、NGOやNPO法人が、世界中にひろがっていたような気がするのです。日本の経営には、近江商人の「三方良し」の精神が受け継がれてきました。だからこそ日本は、長寿企業の数が世界一を誇っているのです。私自身の仕事も、この「三方良し」の考えに基づいて行ってきたのです。それにもうひとつ加えて「四方良し」という考え方をしてきました。売り手良し、買い手良し、作り手良し、周り良し、利己主義では決して幸せになれないし、会社も長く続きません。関わるすべての人びとが利益を分かち合うのが大切と感じています。
それをテレビで取り上げていただき、社会起業家として紹介してもらいました。
「社会起業家」とは、社会の問題を、ビジネスを通じて解決する人のことです。
そのように呼ばれるようになって、それこそが私の運命であり、自分に与えられた役割なのだと、自然に思えるようになったのです。
~NHKのこの番組が、ソーシャル事業部を作るきっかけのひとつとなったのですね。
渡邊: そうなんです。2011年3月11日の東日本大震災後、私が最初にしたことは、アバンティにソーシャル事業部を立ち上げて、東北の人々と向き合うことでした。「被災地の人びとのために、私たちに何ができるか?」という私が呼びかけた話し合いに、社員だけでなく、いろいろな人が集まってくれました。
自然エネルギーを考える人、仕事を作る人、広報を専門にする人、被災地の復興を願う人など、誰にでも参加してもらって、チームを作り、話し合いを重ねました。
そして同年6月、被災地の雇用創出を目的として、『東北グランマの仕事づくり』を始めました。オーガニックコットンでオーナメントなど、さまざまな製品を作ることになりました。その商品を通して、全国の人びとや次世代を担う子どもたちと心のこもった交流を生み出しています。現在、東北地方に8カ所グランマの拠点があります。その後2011年から、毎年、新たなプロジェクトを、立ち上げています。
東北グランマのオーナメント作り
~毎年立ち上げられているプロジェクトについて教えていただいて、宜しいでしょうか。
渡邊: 次の2012年春には、「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」を始動しました。ご存じかと思いますが、東日本大震災以降、福島では風評被害から生産者が農業を断念したり、農家の後継者不足などにより、遊休農地・耕作放棄地が、年々増加し続けています。そこで食用ではなく、塩害にも強い綿を有機栽培で育て、地域に活気と仕事を生み出すことを目的とし、収穫されるコットンを製品化・販売する取り組みを始めました。今後、福島から新しい農業と繊維産業を作り出したいと考えています。
そして2013年には、長野県の小諸で、『わくわくのびのびえこども塾』をスタートさせました。原発問題を抱えた福島の子ども達は、外で遊ぶことができなくなってしまったために、どんどん内にひきこもってしまう子が増えていきました。
福島の子どもたちに、線量の心配などしなくていいように、自然の中で、思い切り跳ね回ってほしい。そんな思いで始めたのが、一般社団法人わくわくのびのびえこども塾です。この法人は、未来の子どもたちの夢につなげようと結成したものです。
2014年は、『わくわくのびのびえこども塾』がある、一般財団法人小諸エコビレッジをソーシャルビジネスの拠点として、農業を始め『Bioマルシェ in 小諸エコビレッジ』などを本格的に始動させました。
アバンティ農園で作られた無農薬有機野菜
~まずは東北の復興から始められたソーシャル事業部ですが、さらに活動が広がっていますね。2015年には、『森から海へ』も、立ち上げられたそうですが、こちらはどのような活動でしょうか?
渡邊:現在全国各地の森で鹿が増え続けており、被害がでているのはご存知ですか。今、日本の森が鹿によって大きなダメージを受けていることを、数年前に知る機会がありました。温暖化の影響で越冬する小鹿が増え、捕獲する人がいないため、鹿が森を食い尽くしているのです。
森がダメになったら、川や海もダメになってしまいます。しかも、数少ない捕獲された鹿も捨てられているのです。そこで、捨てられるはずの鹿肉で、ペットフードを作り、そこから出た利益を森を守る人材の育成に使うという循環を考え、
仕組みを作りました。
アバンティのソーシャル事業のひとつ、農園活動
今だけでなく未来のためにも残したいもの!
~さて、南海放送で、渡邊さんがパーソナリティをなさっている対談番組『22世紀に残すもの』、こちらは、どのようなプログラムでしょうか?
渡邊: 『22世紀に残すもの』をテーマに、さまざまなゲストと対談します。テーマを通し、社会貢献の実現を目指したいと考えています。
実はゲストも加藤登紀子さん、C.W.ニコルさん、辻信一さんなど多彩なのです。ラジオだけではもったいないので、インターネット動画配信のGYAOで、
映像もお届けしています。
~ゲストも著名な方ばかりで、番組を何回か見させていただいたのですが、環境や福祉、また経済など幅広いテーマで、とても見応えがあります。渡邊さんにとって、22世紀に残したいものは何ですか?
渡邊: やはりアバンティをリーディングカンパニーとしていくことと、共に会社を支えてくれている社員です。会社のフィロソフィーを共有して、働いてくれている社員のプライドに感謝しています。
~それは素敵なことですね。同時に大事になさっているものはなんでしょうか?
渡邊:これからすべてのことを解決でできるのは、愛しかないと思っています。
著書にも記していますが、20歳の頃、結婚した夫の父が、「愛情をお金で買うことはできないが、お金に愛情を託すことはできる」とよく言っていたのです。
義父は、北海道一大きな銀行に勤める銀行マンで、私は義父のことをとても尊敬していたので、その言葉を素直に信じることができました。お金は、大事なものですが、七変化します。だからこそ、「私もお金に愛情を託せる人間になりたい。それには、自分の会社で儲けたお金を社会に還元すること」と人生の目的を定めることができました。
~さて社会起業家として活躍している渡邊さんから見て、みんな電力の行っている事業にどのようなことを感じますか。
渡邊: 私自身の生き方はマイノリティです。大企業的なメジャーな感覚ではなく、マイノリティの中に、人間らしさや地球と共に生きる感性を感じます。みんな電力の視点は、地産地消など、地球の資源を活かすマイノリティの感覚を感じ、とても共感できます。
~ありがとうございます。最後に、今後のビジョンや次世代に向けて取り組みたいことを教えてください。
渡邊: やはり22世紀のことを考えて、さまざまなことを実践していきたいと思っています。物事をロングタームで考え、地球をどのようにしていくのか、
目標を立て、『22世紀に残すもの』を、一つの媒体として、今後取り組んでいきたいと考えています。
渡邊智惠子
1952年 北海道斜里郡出身
1975年 明治大学商学部卒業
株式会社タスコジャパン入社
1983年 同社 取締役副社長に就任
1985年 株式会社アバンティ設立、代表取締役社長就任
1990年 株式会社タスコジャパンを退社
1993年 テキサス州サンアントニオ市に Katan House Japan Inc. を設立、代表取締役社長となる。
2008年 長年に亘りオーガニックコットンという素材を世界に広めた功績により、株式会社アバンティが『毎日ファッション大賞』を受賞する
2009年 経済産業省『日本を代表するソーシャルビジネス55選』に選ばれる
めざましい活躍をした女性たちを表彰し、働く女性たちにロールモデルを表示する『ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010』に渡邊智惠子がリーダー部門を受賞、総合7位を受賞
2010年 NHKの人気番組『プロフェッショナル仕事の流儀』に取り上げられる
2011年 一般社団法人小諸エコビレッジ設立、代表理事就任
2012年 長年のオーガニックコットンの普及に対する活動が認められ、アメリカ・テキサスにおいてGold hoe awardを受賞
2014年 一般社団法人わくわくのびのびえこども塾設立、代表理事就任
2016年 ラジオ番組『22世紀に残すもの』パーソナリティとして始動
2016年 一般財団法人森から海へ設立、代表理事就任
アバンティ
https://avantijapan.co.jp/
渡邊智惠子オフシャルサイト
http://chieko-watanabe.com/
<ライター紹介> 松浦はるの(まつうら・はるの) ジョシエネLABOスタッフ。インターネット放送『eco japan cup TV』の元企画構成・司会。現在は経験を活かし、ネット生放送『ジョシエネROOM』企画構成を担当。2016年7月にママカフェ『お買い物気分で、電力選び!』を始め、主婦向け講座『学びのママ会』の企画実施並びに開催運営を行っている。