獏原人村の満月祭
そこでは、昨今語られることの多い「サステナブル」や「ロハス」、「パーマカルチャー」など、そういった価値観はとっくに、当り前に実践されてきた。
そして、毎年8月に獏で開催される「満月祭」は、全国的に知られた“コミューン運動”や“LOVE & PEACE”を標榜する人々が一堂に会する宴である。しかし村は福島第一原発から24キロの距離に位置し、あえて近代文明から一定距離をおいていたはずの暮らしは311を契機に一転、何とも皮肉な運命のいたずらに翻弄されることとなった。
今回は2015年に伺ったマサイさんのお話と、2013年に参加した「満月祭」の写真から、私たちのライフスタイルを今一度、考え直してみたい。
今年の祭は8月12〜18日の1週間、開催される。
原発はここに来た当初からあった。スリーマイルの事故から勉強会始めた。チェルノブイリで決定的。広瀬隆さんの「危険な話」を読んで「原発はなくさないと、絶対にダメ」。数年は結構真剣だったが、続かなかったし、他に熱心な人間も出てきた。自分は人がやってるイベントに太鼓を持っていく程度。
満月祭にはピークで1200人が参加。住人は全部で20人、311時は6人。獏原人村としてどうのでなく、川内村としての「復興」に向けたプロジェクトある。今までは商工会が国の予算を調整していたが、それではお金を使って終わるだけ。今回は10〜20人で「盛り上げっか」。若者、年寄り、自分のようなヨソモノ。このままではただの辺境として、歳をとって終わってしまう。
311以降、徐々に人が戻りつつある、獏。「満月祭」メインステージの様子。まわりには手打ちそばなど、飲食店なども出る
理想を求めて集まっても、いざこざが起きる。理想を求めてる同士でも、もめる。ウソもつけないし、だからと言ってできないことは恥じゃない。理想通りにはいかないことに気付くのに20年かかった。
村の電力はソーラーパネルと蓄電池で完全オフグリッド。祭の最中に、ソーラー発電についての講習会もあった
「満月祭」、そもそも管理社会への反発。
どこまで管理しなくていいのか。世の中は、何もなくても未然に防ごうとする。管理以外の方法を模索することすらしなくなったら終わり。テロも取り締まるほどなくならない。回答はなくとも、方向性はそう。現実を見て、挫折の中で見出した。答えまでいかなくとも、方向性を見つけるため「管理しない祭」を続ける。補助金もらってやっても意味はない。参加する皆が責任を持つべき。そうでなければ、結局「どこかから金出てるんだろ」と見透かされる。
20歳の頃はロック、ヒッピー、アート。
自分はコミューン運動、まわりは暴力革命。暴力に対しては恐怖心。暴力で勝ちとれば暴力が続き、そのバイブレーションは地球全体に伝搬する。キャッチする人、しない人。山尾三省、アレン・ギンズバーグ。
「福島」、特に意識したことない。そもそもここが好きなだけで、行政は嫌い。「川内」とか「福島」とかもない。そこは、猪に川内のこと聞いても意味ない。行政が引いた線に意味はないし、郷土愛もない。きれいな川や自然が好きなだけ。「なぜオレが行政の単位に縛られないといけないのか」。
広場から少し歩けば、気持ちのよい、きれいな小川が流れている
「東村山が好きか」と言われても、すでに町になってて、故郷という感覚ない。「福島」、「川内」といった枠でしか世の中はすすまないが、ただ「ここが好きです」という感覚。「違う文明のありよう」を模索してるなら、国への便宜だけ考えていては結局同じ土俵に立ってしまう。
お話を伺ったのは4月、村はまだ肌寒かった
311の直後、桜を見ても「きれい」と思えなかった。なぜかよくよく考えた。放射能が降ったからといって、桜がきれいじゃないのはおかしい。「気持ちまで東電に犯されてたまるか」。すると分けて考えることができて、桜がきれいに思えた。人間の知識は、そのものの美しさを打ち消してしまう。
カラスは被ばくしても関係ない。人間だけがジタバタ。放射能のリスクついては勉強しないとならないが、闇雲に怖がっても仕方ない。適切な判断などないわけで、答えられる人もいない。今までの無知を恥じて、それぞれに判断するしかない。
ちだ原人さんのライブ。石巻出身、2011年に被災した際巻き込まれた津波から九死に一生を得た、伝説のミュージシャン
村でのシェアハウス、農業は放射能でやりにくい。福島の実状は、ミニミニ明治維新。震災をきっかけに人が集結。生活を破壊する放射能に唯一対抗できる「自給自足」。農家には技術はあるが発想がないので、集結してきた若者たちとシェア。そこには上手に溶け込める人、溶け込めない人いる。自分こそ隣近所がいる中で暮らせなかったが、今やそこ自体は問題じゃない。
マサイさんは養鶏と絶品の玉子で生計をたてている
「新しい人類の有り様」を遠くに見つめながら、行動。そうでもしないと、何のために被災したのか。
たまの知久寿焼さんのライブ
サラーム海上さんのDJ
ここまで家族の支持、あった。年を食ってくると体力が衰え、ハードなことできない。女性はそんなハードなこと好まないが、よくやってきてくれた。