獏原人村の満月祭
読みもの|8.11 Thu

  福島県は川内村、国道399号から約4キロ、舗装すらされていない山道を入ったところに「獏」はある。獏は正式には「獏原人村」といい、1976年頃に村長のマサイさんがつくった、まさに“夢の理想郷”だ。
 そこでは、昨今語られることの多い「サステナブル」や「ロハス」、「パーマカルチャー」など、そういった価値観はとっくに、当り前に実践されてきた。
 そして、毎年8月に獏で開催される「満月祭」は、全国的に知られた“コミューン運動”や“LOVE & PEACE”を標榜する人々が一堂に会する宴である。しかし村は福島第一原発から24キロの距離に位置し、あえて近代文明から一定距離をおいていたはずの暮らしは311を契機に一転、何とも皮肉な運命のいたずらに翻弄されることとなった。
 今回は2015年に伺ったマサイさんのお話と、2013年に参加した「満月祭」の写真から、私たちのライフスタイルを今一度、考え直してみたい。

 今年の祭は8月12〜18日の1週間、開催される。

 

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 今、村には妻と自分の2人だけ。約40年前、75、6年から、確かな時期はいつもウロ覚え(笑)。
 原発はここに来た当初からあった。スリーマイルの事故から勉強会始めた。チェルノブイリで決定的。広瀬隆さんの「危険な話」を読んで「原発はなくさないと、絶対にダメ」。数年は結構真剣だったが、続かなかったし、他に熱心な人間も出てきた。自分は人がやってるイベントに太鼓を持っていく程度。
 満月祭にはピークで1200人が参加。住人は全部で20人、311時は6人。獏原人村としてどうのでなく、川内村としての「復興」に向けたプロジェクトある。今までは商工会が国の予算を調整していたが、それではお金を使って終わるだけ。今回は10〜20人で「盛り上げっか」。若者、年寄り、自分のようなヨソモノ。このままではただの辺境として、歳をとって終わってしまう。

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311以降、徐々に人が戻りつつある、獏。「満月祭」メインステージの様子。まわりには手打ちそばなど、飲食店なども出る

 

 そもそも「コミューン運動」に挫折した立場。壮大過ぎたことに、何十年かして気付いた。ただ「実践してしまえ」では何の意味もない。いくら仲間と都会の喫茶店で意気投合しても、実際やってみないとわからない。当時は資本主義、企業を憎んでた。理想は協同、ヤマギシ会とか。口でいいこと言っても、問題は心の中にあり、行動はなかなか伴わない。さらに若いと、場合によっては錯覚もしてしまう。自分も錯覚した。
 理想を求めて集まっても、いざこざが起きる。理想を求めてる同士でも、もめる。ウソもつけないし、だからと言ってできないことは恥じゃない。理想通りにはいかないことに気付くのに20年かかった。

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村の電力はソーラーパネルと蓄電池で完全オフグリッド。祭の最中に、ソーラー発電についての講習会もあった

 

 そもそも「名前」いらない。名付けた瞬間に規制がかかる。理想を語るほど、理想ではないものができてしまう。そんなことを語るやつこそ偽物。地域のため「空家があるから、シェアハウスにする」程度でいい。
 「満月祭」、そもそも管理社会への反発。
 どこまで管理しなくていいのか。世の中は、何もなくても未然に防ごうとする。管理以外の方法を模索することすらしなくなったら終わり。テロも取り締まるほどなくならない。回答はなくとも、方向性はそう。現実を見て、挫折の中で見出した。答えまでいかなくとも、方向性を見つけるため「管理しない祭」を続ける。補助金もらってやっても意味はない。参加する皆が責任を持つべき。そうでなければ、結局「どこかから金出てるんだろ」と見透かされる。

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 子どもの時に感じてた抑圧が原点。勉強も運動できず、性格は内向的でイジめられた。「なんて理不尽な世の中なのか」と、考えてきた。やり返すことでは救われないし、いじめそのものもなくならない。別の何かを考えないと。
 20歳の頃はロック、ヒッピー、アート。
 自分はコミューン運動、まわりは暴力革命。暴力に対しては恐怖心。暴力で勝ちとれば暴力が続き、そのバイブレーションは地球全体に伝搬する。キャッチする人、しない人。山尾三省アレン・ギンズバーグ
 「福島」、特に意識したことない。そもそもここが好きなだけで、行政は嫌い。「川内」とか「福島」とかもない。そこは、猪に川内のこと聞いても意味ない。行政が引いた線に意味はないし、郷土愛もない。きれいな川や自然が好きなだけ。「なぜオレが行政の単位に縛られないといけないのか」。

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広場から少し歩けば、気持ちのよい、きれいな小川が流れている

 

 学校での歴史も、ピテカントロプスくらいまでは面白い。それが鎌倉時代あたりになってくると興味湧かない。動物も野生にしか興味ない。家畜は人間が支配し、野生動物とは違う。例えばアフリカにヌーが何万頭もいると、すごく惹かれる。原始時代や文明の初期には惹かれるが、権力が出てきた途端興味なくなる。突き詰めれば「人による人の支配」が嫌。
 「東村山が好きか」と言われても、すでに町になってて、故郷という感覚ない。「福島」、「川内」といった枠でしか世の中はすすまないが、ただ「ここが好きです」という感覚。「違う文明のありよう」を模索してるなら、国への便宜だけ考えていては結局同じ土俵に立ってしまう。

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お話を伺ったのは4月、村はまだ肌寒かった

 

 自分は違うことを考えている。それも「そう考えているやつがいる」という事実だけ。人間は家畜じゃないのに、みんな自ら家畜になっていく。老後の心配ばかりして、他の道はないかのごとく思わされている。誰も行かない道を進むのは、勇気がいる。満月祭は自分にとって、そういう表現。賛同する人だけ集めることにも懲りた。賛同しない人間だって、悪い奴らではない。
 311の直後、桜を見ても「きれい」と思えなかった。なぜかよくよく考えた。放射能が降ったからといって、桜がきれいじゃないのはおかしい。「気持ちまで東電に犯されてたまるか」。すると分けて考えることができて、桜がきれいに思えた。人間の知識は、そのものの美しさを打ち消してしまう。
 カラスは被ばくしても関係ない。人間だけがジタバタ。放射能のリスクついては勉強しないとならないが、闇雲に怖がっても仕方ない。適切な判断などないわけで、答えられる人もいない。今までの無知を恥じて、それぞれに判断するしかない。

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ちだ原人さんのライブ。石巻出身、2011年に被災した際巻き込まれた津波から九死に一生を得た、伝説のミュージシャン

 

 自分には冷酷なところがある。広島だって、その前に中国に勝って、人を殺して、みんな喜んでた。それを自分たちがやられて、文句が言えるのか?原発もそう。自分たちが容認し、あえて思考停止を選んできた。原発に対しての総括すらせずに「復興」、許せない。戦争だって総括してない。原発と同じく、これからも戦争は起きるだろう。
 村でのシェアハウス、農業は放射能でやりにくい。福島の実状は、ミニミニ明治維新。震災をきっかけに人が集結。生活を破壊する放射能に唯一対抗できる「自給自足」。農家には技術はあるが発想がないので、集結してきた若者たちとシェア。そこには上手に溶け込める人、溶け込めない人いる。自分こそ隣近所がいる中で暮らせなかったが、今やそこ自体は問題じゃない。

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マサイさんは養鶏と絶品の玉子で生計をたてている

 

 今、結構面白い。これまでは何でも上から。始めて、ボトムアップで何か起きている。これも震災があったからこそ。ここで何もしなかったら、ただの復興で終わってしまう。
 「新しい人類の有り様」を遠くに見つめながら、行動。そうでもしないと、何のために被災したのか。

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たまの知久寿焼さんのライブ

 

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サラーム海上さんのDJ

 

 今、福島はチャンス。TV取材も来る。どこからでも力を吸収し、新しいものつくっていく胆力必要。大袈裟でも、面倒臭くても、「何のために生まれてきたのか」。人間は安全に生きる為に生まれてきたわけじゃない。
 ここまで家族の支持、あった。年を食ってくると体力が衰え、ハードなことできない。女性はそんなハードなこと好まないが、よくやってきてくれた。

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 人が人を支配するのは不幸。自給自足は自由と繋がる。今はいい材料何もなく、絶望しがちだが、これも一つの過程を歩いているだけ。スパンは人生よりも長い。よりいい方向を向いていられるかが大事。

 

 マサイさんのお話は、『ビオクラシー 福島にすでにある』(SEEDS出版、2016)から転載しました。

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(聞き手:平井有太)
2016.08.11 Thu.

 

 

 

 

 

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