【第1回】福島第一原発20km圏内の5年間と、私たちの生活
原発から20キロ圏内を定点観測してきたENECTは今回、「LIFESTYLE」カテゴリーで2回にわたり、福島第一原発から20キロ圏内の様子を伝えます。
本サイト、メインの「ENECT」ロゴ真下、私たちが掲げている言葉は「THE CHIOICE IS YOURS(ザ・チョイス・イズ・ユアズ)」。つまり、「選択肢はあなたに」です。選択できる自由、複数の選択肢がある環境は、そのまま「豊か」と呼べるでしょう。
電力に関するそれは、昨年4月に実施された自由化と共に、私たちが初めて手にしました。しかし同時に、「選ぶ自由」はすべてが豊富な日本では当り前で、私たちはその尊さを忘れがち。また、「選択」の大前提にあるものは判断材料、つまり、嘘のない情報です。
この「福島第一原発20km圏内の5年間と、私たちの生活」初回は、昨年2016年春に撮影した写真を中心に。次回は、原発事故から丸1年も経たぬ頃、だいたい同じ場所で撮ったものを中心に、お届けします。
この5年間で何が変わり、変わらなかったか。それは報道されることも少なく、実際そこにあるのに見ること、知る機会がほぼない、そのままの事実です。
ここにも、私たちの日常と同じ、人々の生活があったのです。
今は誰でも行ける、JR常磐線・富岡駅。駅は解体され、周囲の建物も取り壊された。白いのは減容化施設。2017年末、新たな駅舎と共に開通予定
JR常磐線・夜ノ森駅は、帰還困難区域内。線路上のフレコンバッグ、夜ノ森の桜並木の撮影は昨年12月末。こんな通りが交差し合い、満開時は壮観
2016年4月、帰還困難区域以外は日中の立入りが許可された浪江町、請戸小学校。一帯は津波被害が甚大、放射線量は低く、フレコンバッグ置場も
福島第一原発に続く道沿いにある平目の養殖場。この場所で、この時の視察中、ガイガーカウンターが最も高い数値を示した
コンビニの中。新聞の日付は当り前に2011年3月11日のままだ
大熊町とJR常磐線・大野駅。ページトップの看板写真にあるように、名所としての原発紹介や、アトム観光、ブックスアトムといった商店がある
小学生たちの荷物がかかったままの教室
大熊町と共に原発が立地する双葉町の厚生病院と、地震で倒壊したままの商店、家屋
2015年12月に撤去された、双葉町の原発PR看板。標語「原子力明るい未来のエネルギー」を、小学生当時に考えた大沼勇治氏による看板保存運動