ITはかせMr. Hiroseのデジタルをタドる!Vol. 4 より小さくより速く「世界を変えた小さな石」
読みもの|11.12 Fri

Vol. 3では、コンピューターがどのようにしてメインフレームと呼ばれるまでに発展したかというお話をしました。今回は、コンピューターの小型化と解析処理スピードを加速させたトランジスタについてです。トランジスタという素子を採用することによりコンピューターは驚異的なスピードで性能を上げて小型化していきます。

目次

■ トランジスタの発明

科学技術の進歩には、突然のブレークスルーが起きることがあります。電話の発明で有名なAT&Tベル研究所のショックレーによる革命的なスイッチング素子、1948年に発明されたトランジスタもその一つです。地球上の石の中に無尽蔵に含まれるシリコンという素材をサンドイッチ状に重ねた簡単な仕組みでスイッチを実現しました。

アップルやGoogleが本社を置くサンフランシスコの近くのシリコンバレーは、元々は、岩だらけで作物ができない不毛な地でしたが、トランジスタが発明されたことで一躍有名になりました。トランジスタの原料のシリコンは花崗岩と同じ硬い石ですから頑丈です。真空管のようにフィラメントが切れることも、光を発して蛾が集まってくることもありません。

トランジスタの利点は、ウエハと呼ばれるシリコンの板に設計図をレーザー光で焼き付けて回路を作ることができるということです。印刷物と同じで版を作っておけば判で押したように大量生産ができます。また、コピーして集積度を増やすことが可能で性能や容量を指数関数的に向上させることができました。このようにトランジスタを寄せ集めた素子を集積回路とかIC(integrated circuit)と呼びました。

真空管のように熱を持たない、フィラメントが切れることもない、小型で安価に作れるので大量生産に向いている半導体は、ラジオ、テレビを始め、様々な電子機器に使われました。この発明が、今のデジタル社会の礎を築いたと言っても過言ではありません。

■ インテル社の設立

トランジスタの発明でノーベル賞を受賞したショックレーは、AT&Tベル研究所から独立して、1956年にショックレー・セミコンダクタ社というトランジスタの製造会社を設立します。そこで働いていたロバート・ノイスやムーアの法則で有名なゴードン・ムーアは、フェアチャイルド・セミコンダクタ社を経て、1968年、現在、世界中で8万人の従業員を持つインテル社を設立します。

■ マイクロプロセッサ誕生

インテル社は、何百個ものトランジスタを1枚の基盤に搭載できる集積回路の技術を応用して半導体メモリなどを製造していましたが、大量生産を得意とする日本の企業に、価格、品質面でメモリは太刀打ちできなくなり新しい飯の種を探していました。

当時は、シャープやカシオだけでなくキャノン、ソニーを始め、様々な会社が、後に電卓と呼ばれる電子式卓上計算機を作っていました。ひと抱えもある30万円もするオールトランジスタの電子式卓上計算機も商品化されていました。

そんな電卓ブームに乗った日本の新興企業にビジコン社がありました。もともとは、機械式の手回し計算機を作っていた会社でしたが電子式の計算機を開発していました。ビジコン社は、インテル社の集積回路に目をつけ、プログラムを変えれば機能を追加できる汎用的な電卓用の集積回路の開発をインテル社に依頼しました。これがマイクロプロセッサ(CPU)開発の発端になりました。その頃のインテル社は数十人のスタートアップ企業で、ビジコン社はその10倍の従業員を抱える中堅の企業でした。

■ CPUに嶋氏の家紋

1個のチップにプログラムを内蔵させることで、すべての電卓機能に対応させるというアイデアは、ビジコン社が出したものですが、それを製品化したのはインテル社でした。その設計には、ビジコン社から派遣されていた日本の若きエンジニア、嶋正利氏が深く関わっていてインテルと共同で4004という最初のCPUを1971年に開発した後に、インテルに移り、1974年に8080を開発しました、初期のCPUチップの本体の端っこに、嶋氏の家紋である「丸に三つ引き」が描かれていました。

嶋氏の家紋

■ マイクロプロセッサーのパッケージにも日本の技術

マイクロプロセッサーは、シリコンのウエハーに焼き付けられた精密な部品からできていますのでこれを守るためのパッケージが必要でした。精密加工されたシリコンウエハーは、外部からの湿気や強い光などに対して極端に弱く、そのままでは産業用に使用することはできませんでした。トランジスタや集積回路の電気的な特性はそのままに、外部からの湿気や光を遮断することができたのが、セラミックパッケージでした。このパッケージがあってはじめて集積回路は広く使われるようになったといっても過言ではありません。京セラはこのパッケージで半導体産業に大きく貢献しました。会社のロゴは、京セラの「K」がセラミックスの「C」を包み込むパッケージのデザインになっています。

■ そろり新左衛門の逸話とマイクロプロセッサの快進撃

この倍々ゲームには、2進数の秘密が隠されています。太閤秀吉の家来のそろり新左衛門は、戦で手柄を立てたときの褒美に「1日1粒の米で結構、その代わり日ごとに倍に増やしていって欲しい」と言う奇妙な申し入れをしました。1日1粒とは欲のない男だと考えて目を細めていましたが、2,4,8,16…と増えていき、数週間足らずで何百万個の米粒になりました。秀吉は音を上げて、その知恵者ぶりに脱帽したという逸話があります。

CPUも同じ理屈で急速に性能を上げていきました。これは、インテルのCEOだったゴードン・ムーアが発見したと言われており、ムーアの法則と呼ばれています。

1971に発表された4ビットのIntel4004は、倍々ゲームで進化して現在は64ビットになり、4040→8080→8086→80286→386→486→Pentium→Core→Atom→Itanium→Xeonと驚異的な発展を遂げていくのです。最初の4004のCPUのトランジスタは2,000個足らずでしたが、ムーアの法則に従ってどんどん集積化が進み、最新のCPUでは、1,000,000,000(10億)個にまで増えています。このCPUを採用することで、コンピューターは急速に小型化、高性能化していきます。

■ まとめ

石から作ったトランジスタを集積したマイクロプロセッサの誕生で国家や大企業の所有物だったコンピューターが小型化、高性能化、低価格化が進み、私たちが使うことができる小型のコンピューターへと進化していきます。次回は、いよいよ、パソコンの元祖の登場です。お楽しみに。

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記事を作った人たち

タドリスト
廣瀬隆夫
横浜生まれの横浜育ち。シニアITコンサルタント。Macのお絵かきソフトに出会ってデジタルのおもしろさに目覚める。体力は衰えたが好奇心だけは旺盛。レバニラ炒め定食が好物。お酒は好きだが、すぐに顔に出る。