【第2回】千年、未来を繋いできたキャラバン
誰にとっても、同行することだけで過酷なキャラバンの在り方を、なぜフィルムに残そうと思ったか。そして、そこに込められた何が、現代の私たちの生活に繋がっているのか。遠い国で行われていることでもあり、しかし間違いなく現在進行形で、私たちと同じ時代に受け継がれていることでもある。
今月末には、映画だけでなく、サハラ砂漠で生きる民の希望を奏でる、本物のトゥアレグ族バンド「TAMIKREST」が来日を果たす。渋谷UPLINKや橋の下音楽祭他、京都、代官山、横浜での公演をmicroActionと仕掛ける、アリサ監督に聞いた。
一つは、私はやっぱりその「自給自足」にすごく憧れてきたんです。そして「自由」は、自給自足の中にあるんです。私はその自由に一番憧れてきました。トゥアレグ族は、実は「自由な民族」と呼ばれてもいるんです。
テネレ砂漠をずっと渡って、ビルマ·オアシスに着くと、女性の派手な色がとても印象的だった
©alissa descotes-toyosaki
テネレ砂漠を出て、遊牧キャンプに戻る塩キャラバン。休憩してからまたサヘル地域へ再出発する
©alissa descotes-toyosaki
アフリカはやっぱり人間のはじまった場所で。
私はそれは、言葉だけじゃなく、本当にそういう風に感じているから、国ごとじゃなくて、大陸として特別だし、強烈なところだと思います。
塩キャラバンは16時間も止まらないため、追いかけなければならない
©alissa descotes-toyosaki
砂漠は不思議なところです。甘く見ると死んじゃうし。私も、途中で雨が降らなかったらヤバかったかもしれない。
この季節に30年も降らなかった奇跡の雨。キャラバンの商人にとってはあまり良い兆しではなかったが、私は正直、助かった!
©alissa descotes-toyosaki
トゥアレグ族は、何というかみんな男らしい男というか、ジェントルマンです。でも彼らは実は、自分たちの独立のため、何回も反乱を起こしてもいます。フランスが植民地化しようと入っていった時も必死に闘いましたし、独立後も頻繁に反乱を起こしたり、そういう、服従しない人たちなんです。
キャラバンの若者。トゥアレグ族は、男性がターバンで顔を隠し、砂や風を防止すると同時に、感情を表さない文化がある
©alissa descotes-toyosaki
彼らは本当に頑固というか、誇り高い人々なんです。
5日間の砂漠の後やっと井戸にたどり着いたキャラバン。地下から汲み出す水は茶色いけれどとても美味しかった。Aman Iman = 水は命
©alissa descotes-toyosaki
私たちもスーパーに行けば、選択肢があるでしょう?それと同じで、悪くないことだと思います。ただどちらかがあることでもう片方を潰してしまうんであれば、それは非常にもったいない。
トゥアレグの遊牧民のアイデンティティは遊牧民。それはずっとそうだと思います。塩キャラバンじゃなくても、どこかで心はノマド。でも新世代の若者は一度街に入って、そこに本当に染まってしまったら、遊牧キャンプに戻ることは難しい。
「じゃあ、どうしたらいいか」と言うと、行き来するしかない。それができてる人たちはバランスがとれてて、街ではトヨタの四駆を持って、キャンプの方にはラクダを20頭とか持っている。それを見てると「このかたちかも」と思ったりするんです。
車の遺跡とすれ違うキャラバン。どんな丈夫な車でも砂漠にまけるから、今でもキャラバンがあるわけだ
©alissa descotes-toyosaki
サヘル地域のたくさんの市馬で塩とナツメの実を売るキャラバンの風景
©alissa descotes-toyosaki
Alissa Descotes-Toyosaki
1970年、パリ生まれ。
日本人の母とフランス人の父を持ち、二つの文化の間を旅しながら育ったデコート・豊崎アリサは、ジャーナリストという職を自らの生き方として定めることとなった。
2006年にトゥアレグ族の遊牧生活を支援するためにサハラ・エリキ協会を設立。以降、通訳またはキャラバンの一員として旅の日記を綴っている。
彼女のジャーナリストとしての活動は2011年の東日本大震災を機に本格化。現在はパリ、東京、ニジェールという三つの拠点を行き来しながら、激動する現代と人類の生き残りに焦点を合わせ、ニジェールのウラン鉱山などよりスケールの大きいルポルタージュに挑み、フランスや日本に発信している(GEO MAGAZINE、DAYS JAPANなど)。