【初回】江守正多|コロナと気候変動、その共通点と相違点
石器時代が終わった理由は石がなくなったからでないように、化石燃料の時代と言える現代も、化石燃料の枯渇ではない理由で終わるわけで、、
通底するテーマは、「新型ウイルスと気候変動の関係」とは?
今回もエネルギー女史・上田マリノさんと一緒に、茨城県はつくば市にある国立環境研究所から、ダニ先生こと五箇公一先生に続き、同研究所・地球環境研究センターの江守正多副センター長に迫ります。
子どもからお年寄りまで、誰にでもわかりやすく気候変動問題と、その解決策を伝えてこられた江守先生。しかしこの状況にあって、根っこの問題を共有しているのは確かながら「気候変動対策の本質は、今コロナでやっている自粛やステイホームのような我慢ではない」。それよりも、積極的に活動して「脱炭素社会への移行をどう実現するか?」という、しごくポジティブな思考と姿勢が大切ということを説かれます。
今一度、私たちがこの社会をサステナブルなものとするため、何ができるのか。ブレない想いと行動を共有すべく、先生のお話に耳をお傾けください。
「気候変動のリスク」と言われて何のことかピンとこなくても、特に代表的な8つについて、最近より身近なところでよく起きたり、聞いたりしませんか?
あとは、グローバル経済によってモノとヒトの移動が非常に激しくなっていますので、こういうことが起きる可能性はどんどん高くなっていたということも言えます。
気候変動と異常気象の関係も一緒ですが、人間活動が原因で必然的にこういうことが起きたという因果関係までは証明できません。でも「人間活動が背景にあることによって、こういうことが起きやすくなっている」とは言えるんじゃないかと思っています。
つまり気候変動は、今回のコロナほどにはわかりやすくない。もちろん異常気象が直撃した場所ではそれはそれは悲惨なことになっているんですが、それが自分のところにない限りは他人事でいられる。ただそれがいつ自分のところにくるか、その可能性は高まっているし、世界全体を俯瞰して見ても増えていると。
コロナは世界で一気にきたし、気をつけないと自分や自分の家族が本当に死んでしまうかもしれないという話なので、言い方は変かもしれませんが、「よりわかりやすい」という感じはしてます。
じゃあこれが科学的な意味で、何らかの決定的な出来事、ターニングポイントだったのかと言われるとわかりません。でも少なくとも、社会的には決定的な出来事になりました。コロナによって、世界中で社会の在り方の認識を変えるような出来事が起きています。気候変動も似たような大きさとグローバル感を持っている出来事ではあります。ただ、もっとジワジワと起きることなので、ここまで瞬間的なインパクトはありません。
もちろん影響を受けている人はいっぱいいます。一昨年の西日本豪雨とか、去年の大風15、19号だってそうですし、熱中症で亡くなっている方だって一昨年の時点で1500人ほどもいます。それらは大変なことなんですが、まだまだそれでも日本人の感覚として、「気候変動はテレビの中の出来事」という感じなんじゃないかなと。
かたや今の若い世代は、私も含めて気候変動の問題に対してアクションをしてきました。でも、それをやってもすぐに意味がないのかもしれない、変化を起こせるとしてもそれは自分たちでなく、次の世代に向けてということになるのかなという。
その立場で今回のコロナの影響を目の当たりにすると、私には特に3歳の子どもがいます。考えると、ライフスタイルをサステナブルにすることが、感染症も含めて気候変動対策になるという、そこをくじけずやっていくことくらいしか個人ができることはないのでしょうか?
コロナに関して「気候変動自体が直接的に影響を与えて起きたか」というと、そこは現時点ではわかっていないし、たぶん、そうは言えないと思います。もちろん間接的に、気候変動によって起きた生態系破壊みたいなことが、ウイルスが出てきた原因の一部であるかもしれません。でも、少なくとも僕にはそれはわかっていません。
それよりももっと根っこのところで関係があるというか、人間活動による生態系破壊やグローバル経済といったものと、気候変動を起こしている、直接的にそれは化石燃料の燃焼なわけですが、それを止められない世界の経済システムというものがあります。
前提の認識として、それらは同じものです。その意味において、コロナと気候変動の問題には共通項があります。
まずコロナに関しては「個人の行動変容」ということが、問題全体において決定的な役目を果たします。それは今、「接触機会の8割削減」ということが言われるわけですが、個人が「出歩かない」、「人に会わない」、「人と近くで喋らない」、「手を洗う」、「消毒をする」ということを一人一人がやるということが、この問題を当面封じ込めることにおいて決定的に大切です。そしてそのために店を閉めないとならないし、じゃあ「補償はどうするんだ?」ということが議論になっています。
そことの比較で考えると、気候変動で個人が当面できることというのは、コロナの接触削減に当たるものがCO2排出削減になります。それは自分の生活の中で、なるべくCO2を出さないようにするのは、個人の立場でできることだし、今までもそこを意識して行動してくださった方々はそれなりにいらっしゃったはずです。
それはもちろん素晴らしいことなんですが、実は気候変動の場合の「生活からCO2の排出削減をする行動」というのは、コロナにおける接触削減ほど本質的な重要性を持たないんじゃないかと思うんです。つまり、気候変動の場合は「あと30年で世界の排出量を実質ゼロにしないといけない」という話なので、自分たちが行動の中で多少気をつけてエネルギーを使う量を減らしても、正直そんなに変わりません。
2009年のリーマンショックでも相当経済が縮小したと言いはしましたが、CO2の排出量は2%くらいしか減りませんでした。今だってものすごくみんなが経済活動を止めて、「半分くらいはCO2が減ってるんじゃないか」と思いがちですが、家にいても電気は使います。そしてスーパーに物を運ぶため、Amazonの倉庫へもトラックは走ってますし、電車は空でも動いているわけです。ですから、実はエネルギーを使う活動はそんなに減っていないと思います。
となると「活動の縮小」は、残念ながら本質的な「気候変動を止める」ところまでの効果は持ちません。そこだけに頼るわけにはいかない。そこが、コロナとの大きな違いでもあると思います。
気候変動の場合は、そこを超えて、まさにこれはみんな電力さんの事業とも大きく関わることになる部分と思いますが、最終的には「再エネ100%の社会を目指す」と。それには「人々がどんなに活動をしてもCO2が出ない」という、社会を「そういったエネルギーシステムに変えてしまう」、そこを目指しているわけです。
個人としても、そこをめがけて考えて行動していくのが、これから非常に重要なことだと思っています。それは、自分が人知れず省エネをやって、自分は頑張ったので、「もうあとは偉い人に任せます」ということでは決してないんです。
つまり、社会の中で化石燃料が減って再エネが増えるのを、どう「個人として後押し」できるのか。その発想で個人もアクションをしていくことが、今後とても重要です。
気候変動の文脈で、我々が目指しているのは「脱炭素社会」であり、電力も交通も最終的に全部が脱炭素エネルギーになればいいと思っています。その状態はコロナに置き換えると、治療薬とかワクチンが開発されて普及した状態に相当するんじゃないかと思います。
つまり、今は我慢をしてるけど、最終的には「治療薬とワクチンが開発されて、この状態を克服する」ことが出口なわけです。その点において、コロナの場合は「今我慢すること」がすごく大事であると。
それに対して、気候変動の場合は「脱炭素社会になる」という明確な出口があります。みんなでそれを目指すことはもちろん大事で、でもその時に「我慢」はあまり本質的ではない。むしろ積極的に活動して、「脱炭素社会への移行をどう実現するか?」ということがとても重要になってきます。
そうではない。
「気候変動対策の本質は、今コロナでやっているような我慢ではありませんよ」と。それはもっと前向きな話であって、新しいエネルギーシステムとか交通システムと、食料や都市のシステムに社会をアップデートしていく。それを「どう、みんなで実現できるか考えましょう」と。だからそこが我慢ではなく、しごく前向きでポジティブなのが、気候変動の話なんです。
江守正多
1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に入所。2018年より地球環境研究センター 副センター長。社会対話・協働推進オフィス(Twitter @taiwa_kankyo)代表。専門は地球温暖化の将来予測とリスク論。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に『異常気象と人類の選択』 (角川SSC新書、2013)、『地球温暖化の予測は「正しい」か?』(化学同人、2008)、共著書に『地球温暖化はどれくらい「怖い」か?』(技術評論社、2012)『温暖化論のホンネ』(技術評論社、2009)等
テレワークやZOOM会議が一気に普及したように、取材もネット経由で3人での対話が普通に。第2回は11日(月)公開です