【第1回】ホセ・パルラ Jose Parla|”Small Golden Suns”
読みもの|11.14 Mon

  日本では4年振りとなる、ホセ・パルラ(Jose Parla)の個展「Small Golden Suns」が、ユカ・ツルノ・ギャラリーで開催中。会期は9月10日から12月3日。同ギャラリーが東雲から天王洲に移転し、児玉画廊、URANO、山本現代とともに新スペースをオープンしたグランドオープニング記念の展覧会です。
 パルラは、キャンバス上に意図的に描き出されたレイヤー、痕跡、リズミカルな筆致が創造的に結びつけられた独特なスタイルで知られています。本展のタイトル「Small Golden Suns」は、これらの特徴を揃えた本展にて発表される大作のタイトルでもあり、その特徴がよく表れている作品です。パルラは、ペインティング、彫刻、写真、映像など多岐にわたる制作をしてきており、彼の取り組みは公共空間にある都市の壁のような性質を持っています。抽象的な身振りから生まれる渦を巻くようなカリグラフィーの筆致は、作品上に現れる記憶のようなレイヤーと質感を生み出し、過去の形跡は現在へと織り込まれます。
 電力について考えていると、時に農業、そしてアートとの親和性に気付くことが多々あります。10年以上前から度々来日し、個展を開催してきた親日家としても知られているパルラに、アートの核心にあるものと電力との親和性、アートと電力が社会に対して持つ機能について、聞きました。
 3回に分けて、お届けします。

 

jose

Courtesy Yuka Tsuruno Gallery

——当初、サイズと価格を考えた時、今の日本のアート・マーケットで、あなたの作品は受け止められるのかな?とも思いました。
パルラ 日本にはたくさんの素晴らしいギャラリーと、経験豊富なコレクターがいます。国内にどれだけの美術館があるか、考えてみてください。それらは日本の一族、大企業が所有していて、それぞれに長い月日をかけアートを蒐集してきた歴史があります。各美術館がコンテンポラリー・アートの大きなコレクションを持ち、実際に今も、国際的に蒐集を続けています。
 「日本にはアートのシーンがない」と言われることがありますが、そんなことはありません。過小評価されていると思います。
——私も過小評価していた一人かもしれません。
パルラ 日本を経済的に考えた時、首都東京は世界で最も豊かな街とさえ感じます。ここで生み出し、動かしている金額はNYさえも及ばず、その後にLA、ソウル、ロンドンが続きます。上海もまだ、その後でしょう。
——先日のオープニングはいかがでしたか?
パルラ 素晴らしかった!友人たち、その子どもたち、皆が集まってくれた、美しいものでした。
 でも疲れてしまって、友人たちに朝方まで続くパーティに誘われたのですが、数杯のドリンクを飲んで、ホテルに帰って寝てしまいました。昔は本当によくパーティを楽しんだし、もちろん今も楽しんではいます。でも、少しかたちが変わったかもしれません。もっと「リラックスした」というんでしょうか。

jose

Courtesy Yuka Tsuruno Gallery

——どこかでアーティストとして、明確なターニングポイントはあったんでしょうか?
パルラ 私自身は、これは当然ですが、常に真剣に自らの作品と向かい合ってきました。昔と今に違いがあるとして、以前はアート界の構造について深く考えていなかったかもしれません。昔はすべてDIY、つまり自分たちでやっていました。たまには作品が売れたり、時にはブランドとコラボレーションをしたり、それは楽しかったけれど、ビジネスとして緩かった。どうやってものごとが進むのか、理解できていませんでした。
 歳月と共に色々なギャラリーと出会い、仕事のやり方を学ぶうちに、どうこの世界でビジネスが成立するかが見えてきました。そこにはアーティストの努力はもちろん、かけてきた時間、紡いできたアイディアがあり、それに対してギャラリーは、それら作品に見合う場所、人々にアーティストを紹介する役割を担っています。それは、私たちが若いうちはなかなか会う機会のない、たいていは高学歴で、文化の振興に気持ちと具体的な資金をもった人々、コレクターです。そこに至ってやっと、自分自身が内に抱えているものを表現する場を与えられた状況を自覚するわけです。
 人は、その時に変わるのだと思います。そこで気付くのは、自分にできるコミュニケーションが、かつて想像していたよりも大きいこと。それはつまり、自分が若い時、自分で自分をを過小評価していたということなんです。

jose

Courtesy Yuka Tsuruno Gallery

——きっかけは内なる自分にあった。
パルラ 自分自身の可能性について、気がついていなかったということです。それが一度道を切り拓き、今までとは違った世界の人々と対話を始めることで、自分の言葉がかつてなかった領域に届き始めていることに気付くわけです。「大切なのは“ACCESS(接続)”だったのではないか」ということです。
 私たちは10年以上前から東京、大阪、そしてもちろんNYで、仲間たちと口コミだけで素晴らしいパーティができることを知っていました。でも同じ内容のものが、例えばNY TIMES、ART FORUMといった媒体に掲載されると、やっていることが本当の意味で人々に語りかけることを知りました。会ったこともない人々が展覧会に来て、話し、それがさらに大きなプロジェクトへと繋がっていく。そうやって、学んできたんです。
 自分にとっては2007、8年頃、それは片や仲間たちとのコラボレーションやDIYなショウをやり、片やフォーマルなギャラリーでキュレーターと組み、ある意味計画的かつ組織的なショウを展開している時期でした。その頃、自分自身のこと、身の回りのことを系統だて、体系だてながら整理していったんです。役割分担をし、ライターやキュレーターとも密に接して、一緒に作品をつくりあげました。それが、大きな変化に変わっていきました。

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Courtesy Yuka Tsuruno Gallery

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ホセ・パルラ/Jose Parla

パルラは1973年マイアミ生まれ。サバンナ美術大学とニューワールド・スクール・オブ・アーツでペインティングを学び、現在はブルックリンを拠点に活動しています。これまで国内外での様々なパブリック・プロジェクトに取り組んできていますが、近年ではニューヨークのワン・ワールド・センターのロビーに設置された約27メートルの大規模な壁画や、バークレーセンター(ブルックリン)の壁画、第11回ハバナ・ビエンナーレでのフランス人アーティストJRとのコラボレーションプロジェクトなどが大きな話題となりました。最近の個展に、ハイ美術館(アトランタ)、メアリー・ブーン・ギャラリー(NY)、ブライス・ウォクコヴィッツ・ギャラリー(NY)、ハウンチ・オブ・ ヴェニソン(ロンドン)などがあります。パルラはジャクソン・ポロックやジョアン・ミッチェルのようなアメリカの抽象表現主義の系譜を引き継ぐ作家として世界的な注目を集めており、国際社会におけるアイデンティ、マイグレーション、イマジネーションなどをテーマにした大型作品を中心に活動しています。

 

(取材:平井有太)
2016.11.13 sun.
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