【後編】天然資源と文化|島根県の西半分
読みもの|2.4 Sun

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上のメイン写真は津和野の町役場。素敵な風情。下の景色は、太皷谷稲成神社の駐車場から一望できる津和野町。朱色の石州瓦が多く見える

  島根県の西半分、石見地方や石州と呼ばれてきた地域を巡る旅。
 初日は石州の溢れる自然資源を巡ってエネルギーの可能性を感じ、2日目は文化資源に目を向ける1日となった。正直それはさすがに、出雲大社を要する東半分・雲州に勝ち目はないだろうと思ったものの、なかなかどうして、その文化的豊かさにも目を見張るものがあった。

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石州和紙会館に飾ってあった、手前に巨人軍ONのサイン、奥に漫画家・しりあがり寿と千葉すずさんのサイン

  まず、2014年にユネスコ無形文化遺産に登録された石州和紙
 「和紙」は、2008年の能楽、人形浄瑠璃や歌舞伎を皮切りに日本の伝統芸能や文化が毎年登録されていった先で、和食に続いての登録だった。

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みんな電力の営業・柿木さんも、紙漉き体験

  紙は西暦610年頃中国から日本に伝来された。文献には905年に石州の名が登場するが、すでに700年代初頭に石見の国で紙漉きを教えていたという記録もある。つまり、ゆうに1300年もの間、紙はこの地で漉き続けられてきたのだ。

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安永2年(1773年)に、当時の藩主が京都伏見稲荷を勧請。失せ物(紛失物)発見のご利益があり、広く崇拝されてきた

  そして、旅のクライマックスと言える「山陰の小京都」津和野に行く前、町を一望できる太皷谷稲成神社に立ち寄った。日本五大稲荷の一つに数えられる神社は、国内で唯一、願望成就の願いを込めて稲「成」と書くことでも知られる。約1000本の鳥居が並ぶ参道も、出雲大社を思い出させる太いしめ縄も立派で、ご利益は間違いないだろう。

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  その後辿り着いた津和野は、美しい町だった。

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  そこには日本遺産に認定された、江戸時代の津和野藩での人々の暮らしや文化を描いた「津和野百景図」がある。百景図は約150年前、津和野最後の藩主に使えた藩士で、藩の絵師から狩野派の技術を学んだ栗本里治によって描かれた。それは当時の景色や習俗を現代に伝える、貴重な資料となった。おかげで私たちは今も、町に点在する外観がそのまま残った蔵、お堀に泳ぐ数多の鯉などを通じて、江戸時代の津和野町をすぐ身近に感じられるのだ。

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永明寺は応永27年(1420年)の開山。立派な総藁葺きの本堂が今も残る

  また、町にはいくつかの歴史深い神社の他、歴代藩主の菩提寺である永明寺に、津和野出身の森鴎外が本名の「森林太郎」で眠る墓もあるし、津和野カトリック教会乙女峠マリア聖堂もある。実は津和野は、隠れキリシタンたちの悲しい歴史の舞台でもあった。

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  それは明治元年、長崎から153名の隠れキリシタンがこの地に連行され、禁教令が撤廃される明治6年までの間に37名が殉教死した、実際にあった物語。祖先の代から江戸時代の約250年間信仰を守り続けてきた彼らは、世界のカトリック史上例をみない強い信仰心であると、今も世界から賞賛されているという。
 神楽すら、学生時代から誰でもが気軽にやる普通のことという島根。隠れキリシタンにまつわる悲しい話さえも、海外の神までもが集まってくる、まさに神の国たる所以に聞こえた。

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          電話事業100年記念で、1990年にNTTが設置した、日本に現在神奈川県川崎市、香川県観音寺市とここにしかないというデュエットフォン。
          悲しい歴史を持つ乙女峠マリア聖堂のすぐ脇で、カップルや夫婦が温かく使えそうな公衆電話を見つけて、少しほっとした

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鷺舞」は、津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事で、国の重要無形民俗文化財。毎年7月20日、27日に披露される。町のそこかしこで、鷺を見つけることができた

  お土産に源氏巻と、津和野を通る、ダムがない国内唯一の一級河川「高津川」の名を冠した日本酒を手に帰路についた。
 萩・岩見空港で飛行機に搭乗する通路で、到着時は気づかなかった、そもそも空港の敷地内に敷き詰められているソーラーパネルが目に飛び込んできた。そうして最後に改めて、島根が持つ天然資源のポテンシャルを胸に刻んだのだった。

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島根県報告、いかがでしたでしょうか。来週も月曜に新記事公開です!

 

(取材:平井有太)
2017.9.28 thu.
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