宮島達男さんと、持続する「柿の木プロジェクト」をタドる(後編)
読みもの|1.5 Wed

 街を巡るアートプロジェクト『本と川と街』の舞台である深川~本所エリアは、東京大空襲で焼け野原となった場所でもある。土地に刻まれた記憶に、平和のメッセージを伝える作品=柿の木を世界に広げるアーティストは何を想うのか。

半身を焼かれながらも原爆から生き残った柿の木

 宮島達男氏がはじめた「時の蘇生 柿の木プロジェクト」実行委員会による展示をおこなった、清澄白河のクリエイティブスペースgift_labを主宰する「gift_」は、ほど近い会場に『3.11から10年。日本の目覚め』の展示も招いた。

 世界が震撼した3.11から10年の節目、福島と長崎、そして東京大空襲の記憶が交錯する中から何が生まれるか。そしてそこから生まれたモノを、私たちは持続可能な自分ごとにできるのだろうか。

 継続させる上での秘訣として「無理をしないこと」をあげる、宮島氏。

「カキノキ⇄ギフト 『時の蘇生・柿の木プロジェクト』の始まりと現在」展示会場、
清澄白河のgift_lab内にある小屋の前で

 世界の厳しいアートの現場を経て、今も驚くほど純粋に、その可能性を信じ、邁進するように見えた宮島氏のインタビューは、私たちを鼓舞してくれる。

 ぜひ、お読みください。

(撮影:柴田和史)

ー気候変動の観点から、今や地球そのものが危機に瀕している状況さえあります。

宮島 まったくです。つい先日も、COP26で温暖化について議論が交わされました。

ーそこに対しても、アートの役割が大きくなってくるでしょうか?

宮島 柿の木プロジェクトもそうですが、あくまでも「アートプロジェクト」ではあります。そしてアートプロジェクトが“アート”たる所以は、見る人が「どんな読み取り方をしても自由」ということだと思っています。
 いろいろな捉え方、感じ方ができる機会を与えていく。
 メンタルな部分を触発していく存在として、アートがあると思っています。ビッグイシューについて説明する、つまり「イラストレイテッドしていく」のとはちょっと違うんです。
 作品が説明に終わってしまうと、他の国など文化圏が違う人々にとっては「関係のない問題」になってしまう可能性もある。そうではなくて、優れた作品とは、人間本来の「センス・オブ・ワンダー」、つまり感覚とか感情に訴えかけるものなんです。

ー決まった答えを強制するものではなく、それぞれの考えや想いを喚起するもの。

宮島 そして、その背景に大きな問題意識があれば、それは本当に素晴らしいと思います。

ー宮島さんご自身は、作品を通じてそれができてきた手応えは、おありでしょうか?

宮島達男作品「Three Time Train」2011年 セントガリン美術館での展示 (写真撮影 Stefan Rohner)

宮島 アート作品のジャッジメントには、最低でも50年以上の年月がかかると思うんです。だから、効果が出ているかどうかを確認することは、作家本人にはできないと思います。
 もちろん、そのつもりではやっています。時代時代で、作家は自分のやれる限りのことをやっていて、伝えきっているはずなんですが、それが本当に効果が出るか出ないかというのは「観者(かんじゃ)」、つまり「見る側」の問題なんです。
 だから、作者がそれを確認できるかどうかといえば、本質的に「それはできない」んだと思います。

ー私自身、ずっと「伝えたい」と活動を続けている中で、空回りし続けている感覚から逃れられないでいます。

宮島 僕自身も本当にまだ、作家活動をはじめてようやく35年経ったばかりですから、何かを判断するのはまだアーリー(early=早過ぎる)ジャッジメントなんです。
 でも過去の作品を辿っていくと、例えばピカソには『ゲルニカ』という作品があります。湾岸戦争時に国連が空爆に踏み切る決議をした際、会場に飾ってあったゲルニカのタペストリーに暗幕が掛けられました。つまりそれだけ威力がある、「メンタルに効いてる」ということです。
 あの作品の意味は誰もが認識しているし、その影響力は世界中に及んでいると思います。この例から、アートの機能や効果を言うことはできると思います。
 でも、表現やアートを続けていく上で、リアクションがないと寂しいものですよね?

ー確かに、「できるだけなるべくその場でいただけたら嬉しいのに」とは思います。

宮島 ナム・ジュン・パイクがうまいことを言ったのは、「世界に3人自分を理解してくれる人がいれば、自分は続けていける」ということでした。恐らくですが、3人くらいは理解してくれる方々がいらっしゃるかと思うし、それであれば大丈夫かと思います(笑)。

ーしぶとく、諦め悪く、辞めないでいたいと思います(笑)。

宮島 それでいいんだと思うんです。

ー宮島さんは常々、「想像力がもたらす平和」について語られています。今伺ったアートの機能に重なるかもしれませんが、想像力による平和は可能でしょうか?

宮島 むしろ「アートがなければ、平和にはならない」と思います。そもそも「平和」というものは「達成させるべき目標」とは、ちょっと違うと思っているんです。
 例えば公園で子どもたちが遊んで、みんながニコニコしている状態を「平和」だとすれば、それは何もない状態です。いわば「普通にしている状態」なわけです。つまり平和は、「何かを達成している状態」ではなくて、普通なんです。そして戦争や災害が「異常」なんだと思います。それは「普通」をすべて破壊します。
 だから戦争状態という、すごいマイナスにあるものを引き戻して0の地点まで持ってくるには、思いっ切りプラスのものがないと平和、「平らな状態」にならないと思うんです。そしてその、思いっきりプラスにする最たるものがアートです。

 「アート」こそが戦争の反対語です。平和が0地点にあり、戦争状態が思いっ切りのマイナス地点にあるから、それを引き戻す思いっ切りのプラスがアートなんだと思っています。
 アートの特性は、文化や言語、人種をすべて超えて、感動とか感情により「共感で人を結びつける」ことにあります。逆に言えばそこが一番の強みであり、この結びつきを分断していくものが戦争だったりします。

ー地球の持続可能性を考えた時、30年後や50年後にも、もしかしたら人間そのものの存続が危ぶまれる今、そこにある希望はやはりアートの可能性ということになるでしょうか。

宮島 それしかないとは思います。ただ、僕に今問題に対する解決策があるかと言われれば、まったくありません。
 未来をどういう風につくっていくかということについては、今の子どもたちに頼っていくしかありません。その子どもたちに、いかに想像力豊かなアートを与えていけるかどうかということが、大人たちの宿題なんだと思っています。

ーそしてその役割を担っているのが、柿の木プロジェクト、、?

宮島 そう、望んでいます(笑)。

ーそこも、ジャッジメントは50年後ということでしょうか。

宮島 はい、まだわかりません。今すでに、世界中で3万人以上の子どもたちが参加しています。彼らが大きくなって大人になった時に、どんな未来をつくるのか。「これからのこと」に、とても期待をしています。

(ここで、遡れば約10年前にもなる「gift_」との出会いを経て、今回の展示の縁を繋いだ、柿の木プロジェクト実行委員・吉武真理さんからも、宮島氏への質問が出た)

柿の木プロジェクト実行委員・吉武真理さん

吉武 「問い続けること」が、宮島さんの中でも繰り返されていることが確認できました。ただ、50年というのはプロジェクトの中であまり出てこないスパンで、そもそも「ジャッジメント」という考え方自体がプロジェクトにありません。そこを、自分たちで絶対化している側面があると思います。

宮島 そうですね。子どもたちが、他人からジャッジされるのではなくて、「自分たちの中でジャッジしていく」という話なんです。

吉武 「植樹式にすごくパワーがある」という話があって、「結局そこなんだな」ということを思いました。繋いでいく命を目の前にして、他人からのジャッジメントは「いらない」ということを感じ取っていることそのものが、その場のエネルギーなんだと思いました。
 「主体性」という言葉を繰り返してくださったのが印象的で、本当は「主体性なんて当たり前」なのに「なぜ、揺らぐんだろう?」って。

ーそもそも日本の社会には、自ら考え、判断する「主体性」の欠落を強く感じます。

宮島 教育のカリキュラムの中でもアートの時間がどんどん減って、やせ細っていっています。しかもアート教育には、「鑑賞」などの他者を受け入れる要素があまり取り入れられていなくて、「自分が表現する時間」ばかりになっているのも問題だと思います。
 アメリカの教育にしても、ベースにはアートがあって、そこから派生するものとして数学や国語があります。そこが大きく違うと思うんです。

ー日本人は辿れば、江戸時代に花開いた様々な文化はもとより、大昔からの縄文もあり、そもそも想像力や創造性が溢れていた理解でいます。それは失われてしまったのか、今は社会状況的に少し隠れているだけなのでしょうか。

最寄りの、3.11から10年がテーマの展示会場にて、
実際の福島市民の言葉をモチーフとした「再生」がテーマの作品と共に

宮島 戦後教育がネックになっている気はします。「西洋に追いつけ、追い越せ」と経済一辺倒でやってきて、そんな効率主義だと「アートなんて役に立たない」という風に思いがちです。しかし、それは大きな誤算だったと思います。おかげでイノベーションが起きなくなってしまった。
 イノベーションが起きないが故に、GAFA的な先進的なデジタルの分野でも遅れを取ったりしています。そういったことの原因は、創造性や想像力を蔑ろにしてきたことにあるんだと思います。

ーエネルギーに関しても、ずいぶん遅れています。

宮島 世界的に見て、子どもたちの能力そのものに、そんなにすごい差があるわけではではありません。小学生の頃にすごかった力が、だんだんやせ細っていってしまうわけです。
 やっぱり、アートをベースとした教育を取り戻す必要性があるんだと思っています。

2010年3月26日 イタリア、ブレーシャ、オルドフレディ公園での植樹式
2005年5月8日 ベルギー・ハッセルト市の日本庭園での植樹時のワークショップの様子

 柿の木プロジェクトの植樹式では、子どもたちのエネルギーが全面的に肯定されているので、誰かと比べるとかジャッジメント云々という以前に「バーンッ!」とぶつかってきます。そこで「アートの力」というものを、おのずと感じます。

ーパイクさんの言う3人の理解者どころか、子どもたちからエネルギーの塊を受けつつ、揺らぐことなく取り組みを継続、そして前進できているんですね。

宮島 肯定された子どもたちは、“他人からのジャッジメントはいらない”ということを感じ取ります。それが、力となっているようです。
 ですから僕は、なるべく植樹式には出たいと思っています。
 一度出席すると、その時に子どもたちから貰ったエネルギーで、僕自身がその後1年間くらいは元気でいられるんです。

#持続可能な社会 #読みもの
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記事を作った人たち

タドリスト
平井有太
エネルギーのポータルサイト「ENECT」編集長。1975年東京生、School of Visual Arts卒。96〜01年NY在住、2012〜15年福島市在住。家事と生活の現場から見えるSDGs実践家。あらゆる生命を軸に社会を促す「BIOCRACY(ビオクラシー)」提唱。著書に『虚人と巨人』(辰巳出版)など