【後編】CDP|エネルギー大転換中の世界、遅れる日本
ロンドンのBank駅の近くにある、CDP本部が入っているビル。上には楽天も入っている
一人一人が責任を持ち、選択し、自分と違う多様な意見を認め合い、共存しながらつくっていく新しいかたちの社会。再エネはすでに情緒的な理想ではなく、科学的知見に基づいた必然。
日本には311があったし、アメリカにもトランプ大統領とは関係なく”We Are Still In”と、むしろより結束を強めている地域、企業、大学、人々がいる。
ここに掲載されたインタビューが、気付けばガラパゴスで置いてきぼりの状況に慄くのではなく、未来を見据えて誰もが笑顔で納得できる、私たちの本来の道の指標となることを願いつつ。
ロンドンにて、CDPグローバルチームの集まり後の懇親会。アメリカ、ヨーロッパ、インド、ブラジル、中国、香港、そして日本からの面々
それから、従来の電力を供給する側は、一般の普通の人を、「『正しい判断ができない』と思っているのかな?」と捉えているところがある気がします。
でも私は、もちろんたまに裏切られることもありますが、普通の人の判断力を信じている部分があるんです。ずっと自然エネルギーが好きで、そして一時は日本エネルギー経済研究所(以下、エネ研)というところにいたことがあって、私の考えとは真逆の価値観や空気も肌で感じてきました。それは、その指導教官も含めて(笑)。
以前デンマークに寄る機会があったんですが、ある島に行ったんです。それは有名なロラン島ではなく、近くて手軽に行けるエーロという島で。そこでは、売店のおばちゃんもエネルギーの話を熱く語るとか、帰りがけに寄った呑み屋で会ったおじちゃん、おばちゃんも熱く語るし、「そういう話ならあいつがいいよ」って呼んで来たのが漁師のおにいちゃんだったりして、「すごいな」って。
偉い人が何かを決めるんじゃなくて、みんながいろいろなことを考えて、それぞれが自立している「そういう社会ってあるんだな」と思って、そっちのモデルが頭にあるんです。
ちゃんとそれぞれが考えて、意見を戦わせながらつくっていく社会というのが、私が指導教官とは違うところと思っています。教官ももちろん、すばらしい人格者でいらっしゃいます。世代の違いもあるかな、と。
昔から彼は再エネというと「宇宙太陽光だろう!」とか、「技術によるブレイクスルー」みたいな傾向があって、前提に「大きい技術じゃないと技術じゃないよね」ということがあるというか。
商品が受け入れられないといけないので、日産が電気自動車を始めたのは、IPCCの報告書を見て「これは電気自動車しかない」と社内でなって開発を始めたといいます。先を行ってますよね。TOYOTAさんのハイブリッドや燃料電池自動車開発もすごいですが、個人的には日産さんが電気自動車を始めたエピソードには感動しました。
IPCCが出しているカーブを見て、今後の目標について社内で議論をされたらしいです。私がやっているSBT(Science Based Targets)=「企業版2℃目標」は2015年から始まりましたが、もっと前から似たことを社内でやって、実際に技術開発に移行しているというのは、すごいです。
RICOHさんなんかも、すごい。「再エネ100%宣言、やっちゃおう」みたいな。社長さんも「やっちゃおうか!」という感じですし、グローバル企業は市場も従業員も日本だけじゃないので。
日産での講演
排出量取引は「キャップ&トレード」といって、企業に「ここまでしか排出してはいけません」というキャップをかけて、「企業間での排出量の取引はいいですよ」というものです。つまり、決められた量以上に排出したい人は、どこかの企業からその枠を買うということです。売った企業は、枠が小さくなります。
EUはこれを2005年からやっていて、東京都も一応やっているんですが、中国では7都市で始めて、今年からは全土でやるというんです。
この前トランプさんが「パリ協定を抜ける」って言った時に、中国とEUの方とで共同声明を出して、日本は全然絡んでいない。いろいろなNGOのグローバル・オフィスも、中国にはあるけど日本にはありません。クライメート・グループも中国はあるけど日本にはないので、「私がやるしかない」みたいな感じです。
ですので、「日本、蚊帳の外になっていませんか?」みたいな(笑)。
だから「中国の刺激」というものをもっとちゃんと受け止めて、外交を含めて国としてしっかり立ち回れないといけないと思います。
「消費者目線」の「消費者選択」。
誰かが決めてくれた基準ではなく、、例えば、私の指導教官が考えた言葉の一つに「ベストミックス」というものがあります。「ベスト」って「誰のベストなの?」ということを、私は昔から思ってきました。「ベスト」は、みんなの、それぞれのベストの集約形なのであって、「私のベストを勝手に決めないで!」って。繰り返しになりますが、大変すばらしい人格者でいらっしゃいます(笑)。
11/29、企業・投資家向けのセミナーで高瀬さんが司会を務めた、RICOH、積水ハウス、ゴールドマン・サックス、環境省が並んだSBT/RE100のパネルセッション
グローバルは大規模モデルになっていて、日本は小さなモデルのまま、ちゃんとはしているけど大規模化しないとという状況です。そしてそこにFITも入ってきたので、そちらに再エネは持っていかれてしまいました。
そもそも温暖化については学生の時からやってきて、ただ机上のモデル計算をしていても世の中は変わらないし、最終的には経済学者の先生に「環境税だよ」と言われて税金のモデル分析もしていたんですが、「これだけじゃ解決にはならないな」と。就職もして、長期エネルギー需給見通しをつくる部署にいたんですが、つくりながら、実際には業界の調整であって予測ではないのだな、と。トップダウンにこうあるべき姿ではなくて、業界の見通しを足し合わせたものになっている、ということがわかりました。
当時は「再エネ」と言っても鼻で笑われ、差別されていた時代で、その頃個人的な理由でテコンドーをやり出しちゃって、それで海外放浪をしたりしていたんです。韓国に行ったり、スペインのナショナルチームと一緒にやったり(笑)。
ラテンの気質っていうのはそこで勉強になりました。試合で負けても、人のせいとか、マットにせいにして「いいな、これ」って。その頃は持っていた権限を全部捨てて集中していたんですが、「仕事としてやるのはやっぱり研究かな」と戻ってきたんです。それで東大の大学院に入って、CDPのジャパン・ディレクターさんに誘っていただいて。
私のモチベーションというのは、低炭素社会みたいなものが「なんとかできるんじゃないかな」という手応えというか、実際にやってみると結構動くんですね。「あ、本当に減った」みたいな。
SBTの設定もコンサルみたいなお手伝いをすると企業の方々が実際にやってくださって、世界的に「え、日本ってSBT流行ってるの?」と言われているほどで。
その仕掛けもしますし、イベントで話もしますし、個別相談もできる限り受け入れてきめ細かく対応すると「ちゃんと繋がった」ということになって、今国内で14社が認められています。全世界で84社なので、日本は相当多いです。
同時に省エネの実証実験も面白くて、ガス会社さんが省エネ家電買い替えのプランをつくってくれたり、さいたま市が初期投資ゼロの断熱改修の大規模を始めました。さいたま市の検討会では、座長代理というポジションで検討会に参加していたりします。
ですから、肌感覚で「やりようで変わっていくんだ」という、そこが面白いですね。
グリーン電力とかができる前から、修士でやった研究が「コスト以外の電源選択が過去どうだったかということを定量的に出す」というものでした。
当時から、「コスト最適で世の中動いていない」ということを思っていて、では「何で動いているのか?」というと「『嗜好性』、『希望』といったものが入ることで再エネが広がるんじゃないか」という論文をその時点で書きました。
その論文がベースになったと私は信じているのですが、そのとき環境省の職員だった同世代の女性が、後に環境省として、「エコ・ポイント」を実際にやってくれました。嗜好性のマネタイズ、だと思っています。
とにかく私はそういうことをずっと思ってきて、今実際にできるようになって、その部分が動こうとしているので、すごく楽しいんです。
海外においては、90年代からEU指令で「2000年までの再エネ比率を何%」みたいなことが言われてきましたし、それが今も「2020年、2030年はどうする?」という風に続いています。つまり、論理的帰結として「再エネでいこう」ということが、海外ではかなり前からあった。でも、日本にはそれがずっとなくて被差別民だったという(笑)。
それが311で人々の意識が変わったんだと思います。
だから私、案外と安倍首相の評価は高くて、「自由化やってるし!」みたいな、電力に関してはちゃんと、ギリギリのラインでやるべきことをやっているという風に思っています。
洪水が多くなって、北海道には去年3回台風が来ています。私は1、2年前に防災の有識者会合の委員をさせていただいたのですが、今確実に気候変動の影響は世界で増えている、ということを国立環境研究所の方もかなり強めに言っていらっしゃいました。台風の大規模化とか、降雨量は急激に増え、同時に、カリフォルニアでは干ばつが6年目に入って火事が起きています。
日本は水が豊富なのでわかりにくいですが、水がないっていうのは本当に厳しい状況です。それも気候変動が一因ですし、マラリアやデング熱みたいな南の方の虫や病気も日本にきています。
この状況は今のままですともっと進みますし、その点を考えていただけたらと思います。
そこがどういう場所か知っていればみんな動けたし、知ってたら住まなかった人もいると思うんです。知った上で選んで安い土地に住むのはいいんです。
情報開示と消費者選択というのは、本当に裏返しなので。
セミナーの会場であった、東京は青山、満員の国連大学ウ・タント国際会議場は静かな熱気に包まれ、途中退席者もほとんどいなかった
ポールは結構子育てに熱心なのと、出張がただでさえ多いので、日本に来たのは3年前くらいです(笑)、貴重な機会になるとは思います。
ポール・シンプソン氏インタビュー前編へ続く
高瀬香絵
1972年広島生まれ。幼少期は栃木の田舎で自然に囲まれながらすごす。中学・高校と米国に交換留学を経て、当時できたばかりの慶応湘南藤沢キャンパスにて「温暖化は私が解決する」と決意して入学。大学から大学院ではバレエやテコンドーに熱意を注ぐかたわら、環境税を経済モデルで分析したり、エネルギーシステムを学ぶ。修士取得後、日本エネルギー経済研究所にてエネルギー需給の将来予測や核融合のプロジェクトに係る。その後テコンドーに専念するために研究所を退職、世界を放浪。夢破れて東京大学新領域創成科学研究科にて博士を取得。その間に2児の母となる。博士取得後は科学技術振興機構低炭素社会戦略センター、東京大学工学系研究科にて研究員。2015年よりCDP参画。