【第2回】五箇公一|ダニ先生と新型ウイルス
読みもの|4.27 Mon

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マレーシアのジャングルに、両生類の感染症カエルツボカビの調査に行った時の様子

  人間の行動が気候変動を起こし、それが原因でウイルスが森の奥から社会に出てきている。地球と生物多様性の構造上、本来2000万人でいっぱいの人口が76億人を超えている現実において、原因は明確というのが、国立環境研究所・五箇公一先生による初回の話でした。
 そして先生は、そうした人間の行動=環境破壊の根っこにあるのは南北諸国間の経済格差である。だからこそ、「生物はきれいで美しい」といったキレイゴトではないところで理論を展開させないと、結局変化は何も起きないと、続けます。
 お話を伺っていると未来に向けた希望は何もなく、私たちはただ壊され、崩壊していく地球と共に沈んでいくりかないんじゃないかと、落ち込みがち。
 しかし実は、希望の光は私たちの足元にある。太古から地震、火山、台風ほか、あらゆる自然災害に翻弄されてきた日本で育まれてきた、この島国本来のライフスタイルこそに鍵がある。
 五箇先生インタビュー第2回は、厳しくも確かにそこある希望を感じられるお話です。

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五箇 そして、新興感染症が後を絶たない究極的な原因は「南北問題」にあります。
 今、生き物の多様性が最も高いエリアの一つは熱帯雨林、いわゆる赤道直下のジャングルエリアです。あのエリアは陸地面積の7%しかないわけですが、その中に地球の陸域に住む生物種の約50%が集中して生きているとされます。いろいろな植物や虫や動物や鳥など、種々雑多に種が常に進化を繰り返して多様性を生み出しているという、言ってみれば生物多様性のホットスポットと言えます。
 しかし、不幸なことに、そうしたエリアを持っている国のほとんどが発展途上国のため、彼らにとっては無価値な森を早く切り出し、プランテーションをつくって生産性を上げ、あるいは切った森を売ることで「少しでも多くの外貨を獲得したい」、「早く豊かになりたい」という経済発展の欲求を満たそうとしています。
 言ってみれば、そういった南北の経済格差が「熱帯雨林を切り出す」という行為をもたらし、それがCO2の吸収源を奪うとともに、排出を促進しています。そしてその結果として、森の奥にいたウイルスも人間界へと溢れ出てきている。
 ですから、「温暖化で暑くなるからウイルスが増える」といった単純な図式ではないんです。気候変動をもたらす人間の行為自体が、自然災害や感染症問題を引き起こしているということで、すべての根っこには同じ経済問題があるわけです。突き詰めれば、結局、問題の引き金は経済格差なのです。
 基本的に、この問題の解決に向けて世界が協調しようと、例えばCOPも何度も開催さていますが、一向に解決しない。その理由は各国のエゴにあります。
 南の国にしてみれば、北の先進国が好き勝手やって豊かになったのに、「なぜオレたちだけが我慢するのか。だったら金よこせ」と主張し、一方で北の先進国も、損をしてたまるか、と南の国々の要求を少しでも値引きしようとする。だから話が合わない。
 特に超大国であるアメリカ合衆国は、トランプ政権が2015年に採択された国際的な気候変動取り組み「パリ協定」を一方的に離脱して国際的な批判を浴びている始末ですし、生物多様性の枠組みについてもなかなかラウンドテーブルにつこうとしない。
93796285  一方でブラジルのボルソナロ大統領が「アマゾンはブラジルのもの」だと国連総会で明言して、熱帯林保護軽視の姿勢を強めて、「地球の肺」とも言われるアマゾン熱帯林の焼失と開発が進行しているという悲惨な状況です。
 残念ながら、日本の環境省も含め識者とされる方々は、生物多様性の問題についてキレイゴトを前に出しがち。生き物は「かわいい」、「美しい」という話しか、一般向けのプロパガンダとしてしてこなかった。実は生物多様性劣化の根っこにある、「経済問題をどう解決するか」という設問と向き合うことこそが、究極的には感染症との対決の鍵なのです。
 北の国の責任は重大です。
 つまり、自分たちはこれ以上の贅沢を望まず、むしろ南の国を豊かにするために自腹を切って資金や資源提供をすることで、南の国の人たちが森を切らずに済む生活を、どう支えるか。これは、人類共通の持続性の問題です。でも、経済戦争が続く限り、この問題解決のための足並みすら到底揃わないというのが現実です。
 気候変動や温暖化の問題も根っこは一緒です。
 この新型コロナは環境問題とその背景にある経済格差の産物であるということを、ぜひ皆さんに知ってもらいたいと思っております。

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「たった一つの地球で人類が生き延びるためには、人と自然との関係性をもう一度しっかり見つめ直す必要がある」と、五箇先生からのお話を伺い思いました

上田 経済格差が、気候変動やウイルス問題の根っこにあるんですね。
—キレイゴトは通用しないし、問題は経済格差にあるという、各専門分野のエキスパートが集まっても解決できるかという、とても大きな課題に思えます。
 とはいえ、私たちはエネルギーの側面からできることがあると信じて活動をしています。どこに再生の萌芽や、未来に向けた突破口はあるでしょう?
五箇 確かにこういった問題の提起は、ある意味で非常にペシミスティックに捉えられがちですが、実は希望は私たちのすぐ足元にあります。
 というのは、我々日本人が実は遠い昔から「自然共生型の生き方」をしていたという歴史があるのです。いわゆる、縄文の時代から続く日本の里山社会です。
 最近は考古学、人文科学も進み、実は縄文時代が1万年以上続いていたことがわかってきました。100世紀もの間、狩猟採取を続け森の民として生き続けてきて、縄文式土器は中国よりも古い、世界最古の土器ではないかというデータも出てきています。しかもそれだけ文明が発達していたにも関わらず、都市化・集約化は進まなかった。
 日本は、大陸で農業が進化していた時ですら、「あえて農業を導入していなかったんじゃないか?」と言われるほど、我々の祖先は自然共生社会をべースにこの狭い島国で生きてきたとされます。そこを紐解いていくと、自然との順応に長けたライフスタイルが見えてきます。
 大陸の多くの民族は自然征服型社会を進化させていました。それは、大陸は地続きであり、占領地を拡大し続けて採れば採るほど豊かになるという、短期決戦的な文化が優先した結果と思われます。だからこそ大きな帝国ができては消えるという栄華盛衰を繰り返したと考えられ、日本のような島国でそうした資源争奪型の文化で生きると、資源を食い尽くしてあっという間に滅んでしまう。イースター島はモアイ像の建設合戦で民族が滅んだとされていますが、そういう末路を辿ることになる。

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 日本の民族はそうでなく、あくまでも「島内にある自然資源を循環的に利用することで生き延びる」という生活様式が自然環境とうまくマッチングし、持続的な自然共生社会をつくることができた。そして、その生活様式を支えていたのが、「自然の流れに身を任せる」という自然順応型の日本人の遺伝子であり、自然を愛し、畏敬の念を払うという姿勢でした。
 無理せず、必要以上に採集・消費しない。自然にたてつかず、「自然と共生して生きる」という文化が、縄文から続く日本人の里山の文化だったと考えられます。
 だから日本人は、世界に類を見ない飼育の達人として、今も生きています。
 クワガタや鈴虫といった昆虫をペットして飼育するなんて文化を歴史的に愛好している国は、アジア広しといえども日本しかありません。金魚鉢に金魚を入れて風流を楽しみ、しまいには盆栽という形で木々すらも愛玩植物として身近においておく。これらの飼育芸は全て自然と生物を愛してやまない日本人の性(さが)を表しています。
 自然を愛し、自然を敬っていた証拠に、この国には八百万(ヤオヨロズ)も神さまがいるわけです。こんなに神様に多様性がある国は他にありません(笑)。それは、自然の中の草木一つ一つに神を宿らせ、崇めていたからに他ならず、自然というものに深い畏敬の念を抱いていたからに他なりません。
 ここまで自然を愛し、畏れたのは、この国の自然があまりに過酷で地震、津波、火山、台風といった自然災害があとを絶たず、自然に争(あらが)うこと自体が無理だったから。だから自然に逆らわず、自然の流れに身を任せて、順応的に生きていくというライフスタイルこそが、この過酷な環境の狭い島国の中で持続的に生き続けていく鍵だったのです。
 この自然順応型の文化によって我々日本人は1万年もの間、固有の歴史を脈々と繋げてきました。実は我々日本人こそが、持続型社会のエキスパートだったんです。
 それが近代に入って、生活様式が欧米型に転換したことで、物質的な欲が先に走るようになり、今の日本はかつての資源循環型社会から海外資源に依存する資源依存貧国になってしまいました。それでも現在、国際的にも、国家的にも目標とされる自然共生型社会へのシフトには、日本人自身の過去の生き方にたくさんのヒントがあるわけです。
 特に江戸時代には日本は鎖国をしながら、最も文化が隆盛し、当時世界最大のメトロポリスをつくり上げもしました。そして、それを可能にしたのは「持続的な社会」です。各藩に農耕社会を中心とした地方経済があり、その中心には農業がありました。その結果、海外資源にほとんど依存することなく、300年もサステナブルに文化が持続したわけです。
 それでいて上手かったのは、外交能力でした。鎖国というと閉じられた、時代から取り残されたような文化の印象がありますが、当時は出島という限られたチャンネルで国際交易を行い、そこで日本文化の「出し惜しみ」と外国文化の「いいとこ取り」をしたと考えられます。巧みな情報操作によって、日本という国を諸外国に対してすごく神秘的で魅力的に見せた。実は、この外交戦略は生態学的に正解なんです。
 生き物も同じで、各地域に環境に根ざした生態系があって、その地域ごとに環境にフィットして進化した生き物で構成されることで、安定した生態系がある。生態系同士が緩やかに繋がることでたまに遺伝子の交換をして、環境の変化に上手く適応する。それでどこか一つの生態系が潰れてもすぐ他の補填が効く。これは「メタ集団構造」といいます。
 実は、江戸のような地方分権経済というのは、各地域に自立した経済社会が散らばっていれば、どこかが仮に貧しくなっても他がすぐにサポートできるわけで、日本全体は安定した経済を維持できます。ところが今のように中央集約型になると、一旦東京や大阪が破裂すればあっという間に日本中の経済が破綻する。同様に海外との交易も、緩やかに行えば、世界恐慌のような事態は避けられる。

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 今の新型コロナ騒動はまさにそれを象徴しています。
 グローバル化のオープン経済によって簡単に感染症が持ち込まれ、東京が麻痺すればすぐそれが地方に飛び火する。アクセスが良くなった分、リスクだけが分散することになってしまう。ということは、地方ごとに独立した政治と経済があった方が、実はリスクを分散できるし、全体として安定するという意味で、江戸はそのシステムでうまく経済を回し続けていたと考えられます。
 じゃあ、「昔に戻ろう」という極論に結びつけるつもりはありません。
 一部の自然保護派の人たちは、例えばプラスチックの製造と使用の撤廃を求めていますが、そういう文明否定論を主張しているのではありません。環境ゴミとしてのプラスチックの問題は、「それを野放図に捨てる」という人間の行為にあって、プラスチックそのものは再利用すれば問題は大きく低減します。それを「紙のストローにする」という代替策を過剰に進めれば、今度は木材の伐採が進むだけで、根本的な問題解決になっていない。だから問題の構図を単純化するのではなく、システムとして考えて解決を図るべきなんです。
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五箇公一

1990 年、京都大学大学院修士課程修了。同年宇部興産株式会社入社。1996 年、博士号取得。 同年 12 月から国立環境研究所に転じ、 現在は生態リスク評価・対策研究室室長。専門は保全生態学、農薬科学。著書に『クワガタムシが語る生物多様性』(集英社)、『終わりなき侵略者との闘い~増え続ける外来生物』(小学館)など。国や自治体の政策にかかる多数の委員会および大学の非常勤講師を勤めるとともに、テレビや新聞などマスコミを通じて環境科学の普及に力を入れている。

希望は日本文化にという話に未来を感じ、この状況の打破にはシステム構造を考えねばという話はスッと入ってきます。
内容充実の五箇先生のお話、最終回はこの状況を受けて普段より間隔をせばめ、緊急の木曜公開です。お楽しみに

 

(取材:上田マリノ/平井有太)
2020.04.17 fri.
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