槌屋先生のエネ噺 第3回目
読みもの|6.26 Fri

槌屋先生の槌屋先生のエネ噺
槌屋先生のエネ噺
エネ噺第三回。 ここからは、グッと想像しやすい1900年頃のお話をお願いします!
この時代から特に暖房のエネルギーが急激に増大したんですね。石炭によって自由に暖房のエネルギーが使えるようになったということが考えられます。私が子供の頃はストーブに石炭を炊いていましたからね
槌屋先生のエネ噺
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昔の暖房器具は火鉢のイメージがありますね
1900年頃は明治33年ですね。東京がまだ市ですね、東京市。この頃から日本の石炭産業が一気に伸びる。薪はほとんど変わらない
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石炭と薪の違いって何ですか?薪は木ですよね。割った木。石炭は?
石炭は、大昔に薪が土の中に埋まって、そこに閉じ込められて炭化したもの。炭になっているんですね
槌屋先生のエネ噺
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石油の薪版みたいな?
「石油と石炭は違うものです。石炭は植物や木材とかが炭化したもの。石油は動物、魚の死骸とか海老とかが炭化したもの。と言われている。石油は水素分が多いからね
槌屋先生のエネ噺
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石炭は日本でも採れたのですか?炭鉱とかって昔ありましたよね
北海道、九州に炭鉱がありました。九州には軍艦島といいまして、島全体が炭鉱になっている場所がありました。今では観光スポットになっています。
それこそ1990年頃まで日本は石炭を掘っていたんです。釧路は最後まで掘っていましたね。けど炭坑は、もうないんじゃないかな
槌屋先生のエネ噺
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石炭が盛んな時代があったんですね
もちろん。1945年に第二次世界大戦が終り、それ以降に国内では石炭を中心にしたエネルギー供給が始まった。昭和30年くらいまでは石炭が中心です。しかし炭坑で沢山の事故が起きて収縮していく。更に石油は海外から安く買えるようになり1950~60年と石油が急激に増えて行くんです。そして国内の炭坑が人を削減するようになって、労働争議が絶え間なく起きたんですね。今も石炭産業の人達を他の産業へ移す為の予算の形骸が残っているんですよ
槌屋先生のエネ噺
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え?まだあるんですか。僕の石炭のイメージは炭坑で賑わった村がどんどん貧しくなっていくというものですね
夕張なんかそうですね。夕張市の問題をニュース等で知っていると見てると思うけど、一時は石炭産業ですごく活気があったんだよ
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その頃は石炭車とかもありましたよね?
それが機関車だよ。後ろに石炭を積んで、それを燃やしてボイラーでお湯を沸かし、蒸気を発生させ、その蒸気でピストンを動かす。今でもD-51(デコイチ)という名前でありますね。機関車は昭和30年くらいまでが全盛期ですね
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D5100
それはニコンのカメラの機種ですね。違いますよ。その後は石油が盛んになります。知っていると思いますが石油は日本ではほとんど採れません
槌屋先生のエネ噺
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当時の石油の輸入国もイラクとかですか?
まず中東が生産を始めましたからね。あまり現在と変化してないでしょう
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その石油を使って零戦とかを飛ばして
いやいや、時代がねじれてる。零戦は戦争中。今、話しているのは戦争後。第二次大戦の時は石油はアジアから持ってきたのではないかな。
ですからエネルギーの採れない日本は石油を得る為にアジアの方へ出て行きました
槌屋先生のエネ噺
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満州とかって石油があったのですか?
あそこには石油はないんじゃないかな。石炭はありました
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エネルギーを確保する為に他の土地を攻めて行ってというのは今も昔も変わらないですね。
では、終戦直後の日本のエネルギー事情はどうなんですか?
1945年は石炭の消費が急にがたっと落ちるんですね。石油の消費も落ちます。石油が無くて負けたというのがここからも分かります。しかし、天然ガスのみ増えていますね。その頃はまだ天然ガスを液化して運ぶ技術がなかったから、国内産と考えられます。天然ガスは新潟や千葉から出てましたからね
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天然ガスというのは、自然発生的にガスが出るということですか?
穴を掘ってパイプで天然ガスを取り出します。千葉では、田んぼからメタンガスがプツプツと出るなんていうのもあります
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石油も石炭、天然ガスも、過去の遺産を利用しているということですよね
そうです。何億年も昔に作られた遺産を消費していっているんです
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ヨシムラの今週の一枚
槌屋治紀
1943年千葉生まれ。東京大学工学部機械工学科卒業、同大学院博士課程修了。(株)システム技術研究所所長。京都・仙台エコエネルギー学院学長(リンク付き)工学博士。システム工学専攻。エネルギー・資源分析、情報科学の手法を使い、持続可能な社会への道筋を提案しつづけている。WWFジャパン(世界自然保護基金ジャパン)にて「脱炭素社会に向けたエネルギーシナリオ提案」を発表。著書に『エネルギーのいま・未来』(岩波ジュニア新書)『エネルギー耕作型文明』(東洋経済新報社)など、訳書に『ソフト・エネルギー・パス』著エイモリーロビンス(時事通信社)などがある。
『ソフト・エネルギー・パス』は日本に初めて「再生可能エネルギー」という用語を紹介した書籍と言われている。

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