槌屋先生のエネ噺 第5回目
読みもの|6.26 Fri

槌屋先生の槌屋先生のエネ噺
その後、アメリカで始まった石油事業はヨーロッパでも始まります。ノーベル賞を作ったアルフレッド・ノーベルがカスピ海に油田を探しに行くわけですね。当時、強国だったイギリスとオランダが世界中の石油を採れる場所を探し回り東南アジアへも行くんですね。その後アラビアで発見されます
槌屋先生のエネ噺
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ロマンがありますね
そうですね。面白い時代だったのでしょうね。上記のような石油の争奪を繰り広げ、最終的には七つの石油企業が残ります。それが第二次世界大戦後です。ほとんどの会社が第一次世界大戦の頃に会社を作って、世界各地に油田を探しに行っている。特にヨーロッパの人たちは早くから行った。アメリカは国内産の石油があったからあまり海外には出て行かなかった。ところが第二次世界大戦の終わりに、サウジアラビアで石油が出るのではないかという予想が現実になり、ルーズベルトがサウジアラビアに行って国王と対面するわけです。サウジアラビアの王室をアメリカの軍隊が守るから石油をアメリカに渡してくれと言う交渉をするんですよ
槌屋先生のエネ噺
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当時サウジアラビアは石油の価値には気づいていたんですか?
周りは少しずつ掘り出されていて、サウジアラビアにもあるんじゃないかと言われていた。サウジアラビアは、はっきりとた価値は分かっていなかったと想像される
槌屋先生のエネ噺
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そうなんですか
有名な写真はこれだ。 1945年の4月に行われたイブン・サウドとフランクリン・ルーズベルトの会見した時の写真。この直後にルーズベルトは死んでしまうんですけど。ここで、アラムコというサウジアラビアの石油資本とアメリカの共同でサウジアラビアの石油を独占した。アメリカの軍隊がサウジアラビアの王室を警護するという密約を交わしたと言われている。それ以降アメリカはサウジアラビアと今に至る関係を続けている
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これルーズベルトですか?
ルーズベルトは足が悪いのでクルマ椅子に座っている。これは世界的に有名な写真なんですよ
槌屋先生のエネ噺
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石油の発見により国の価値が上がったりするんですね
そうなんです。それまでイブン・サウドは、砂漠の中の族長みたいなものだったんです。イブン・サウドの父が全ての酋長を統一して作ったのがサウジアラビアなんです
槌屋先生のエネ噺
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アメリカから見たら大した国じゃないよみたいな
もちろんそうです。でもアメリカも大国ではなかった。第二次大戦の後に原子爆弾を持つことによってアメリカは世界最強の国になったわけですから
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えー、そうなんですか?
イギリスなどヨーロッパの国の方がパワーがあった時代です。歴史もありますし。この写真は1945年の4月頃に撮影されています。8月に終戦となるわけです
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じゃあ日本が大変な時期に、アメリカは次の手を打つほどの余裕があったんですね
そうなんですよ。日本は何をしていたんだろうと思うね。『石油の世紀』を読むと面白い。色んな種類の詐欺師が沢山出てきて、なんとか石油を自分の物にしようとして
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詐欺師って例えばどんな人が出てくるんですか?
石油会社を多く作って、複数の会社と契約する。契約時に色んな条件を上手に書いて、その後問題になる。そのゴタゴタで利益を得る
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成功者には詐欺師がいっぱい寄ってきますよね
しかし、ヨシムラ君。成功者だって元を正せば訳の分からない人だったみたいな例も沢山ある
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当時は、金を儲けたい人は石油をやるというのが普通だったわけですね。今だと、若い人がネットベンチャーやるみたいなものですね
そうですね。どのビジネスにも言えることだけど、多くの人が同じことをやると、そのものの値段が下がるわけです。石油をたくさん掘ると値段が下がる
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そうですね。需要と供給のバランスが崩れる
供給が過多になる。大混乱の時期は、値段が上がったり下がったりが繰り返される
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ヨシムラの今週の一枚
槌屋治紀
1943年千葉生まれ。東京大学工学部機械工学科卒業、同大学院博士課程修了。(株)システム技術研究所所長。京都・仙台エコエネルギー学院学長(リンク付き)工学博士。システム工学専攻。エネルギー・資源分析、情報科学の手法を使い、持続可能な社会への道筋を提案しつづけている。WWFジャパン(世界自然保護基金ジャパン)にて「脱炭素社会に向けたエネルギーシナリオ提案」を発表。著書に『エネルギーのいま・未来』(岩波ジュニア新書)『エネルギー耕作型文明』(東洋経済新報社)など、訳書に『ソフト・エネルギー・パス』著エイモリーロビンス(時事通信社)などがある。
『ソフト・エネルギー・パス』は日本に初めて「再生可能エネルギー」という用語を紹介した書籍と言われている。

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