【第3回】「BIOCRACY(ビオクラシー)」展にあったもの
読みもの|2.18 Sat

  イギリスのEU離脱やトランプ大統領誕生を引き合いに出すまでもなく、シュール過ぎることが現実になっていく中で、本来ならば非現実なことを扱うのが専売特許だったはずのアートの役割も変わってきている。
 社会や法律、政治を余裕で内包しながら超えていくアートの在り方を考えた時、既製の枠組みにとらわれない進み方に、まさに今、ここで語られる初期衝動の渦中にある「エネルギーの在り方」が見え隠れするのではなかろうか。
 誰の日常生活にも潜んでいる、アートと電力の親和性。
 もうすでにそこにある、躍動する可能性について語った鼎談、最終回。

 

この鼎談の前後もメキシコに飛んでいた卯城竜太氏。Chim↑Pomがアメリカとの国境付近に仕掛けた作品は今、世界的な話題に

卯城 今回のビオクラシー展って、すごく社会の分析ができてるじゃないですか。それでそこに可能性を見い出して、こことこことか、この人とこの人みたいな、一つ面白い、小さな社会構造を展覧会の中でつくり出そうとしているイメージがあるでしょう?
 アートの昔からのイメージでいうと、社会がどうなっていようが、個人が、今の話だと例えば「東電ムカつく」とか、個人のエモーションのみが抽出されるのが大事だと思われていて、実際にそうだった時期もあると思うんです。
 だけどたぶん、これだけ社会が複雑になってしまっていて、みんな教育もちゃんと受けるようになって、だいたいネットも普及して、すると個人のそういう、社会とまったく関係のない「ピュアな個性」みたいなことって、すごい天然素材以外は難しいんじゃないか(笑)。
 そういう中で、アートというものの機能とか役割が見直される時代になってきた。業界自ら社会の中の一つになろうと努めているし、つまり社会性をアピールし出している。というくらい実はもうすでにビジネス的にも大きな産業になりつつあるってことだとは思うけど。
 それとは違う角度で、実はアートのコアな要素、例えば逆転の発想とか物の見方を変えるとか、そういうことも社会化した時に大きな力を持ち得るってことがわかってきたんだと思う。行き詰まってしまった社会を「どうやったら更新できるのか」って、真っ正面から常識的に右往左往してもなかなか突破口は開けないけど、この感覚を使うことで一気に突破できたりする、そういう機能が見直されてるんだと思う。

手塚マキ氏

手塚 電気の自由化もそうだし、大麻にしても、覚せい剤とは別に大麻取締法があって、最近だと民泊がダメなのに、グレーなままで普通にあるじゃない?
 この3つって、法律においてアウトかセーフっていう話なんだけど、民泊はアウトだけどなんとなくちょっと許されてるムードで、大麻は世界的には大丈夫だけど国内ではアウトで、電力も自由化されているのに使い切れてない。「自由なのに」というところからアウトとセーフがあって、同時に陰謀論みたいな、国の操作や電通の思惑とか言うけど、結局はオレらがバカな話だけであって。
 わからないから、「誰かに従っちゃおう」となるのはしょうがない。でも、その上で考えさせる機会になるアートっていうのは、下手に誰かが「これ、こういうことですよ」って言うことよりも、全然力を持つ可能性がある。それに、残るし。
平井 僕が、そんなせいちゃんに勝手に可能性を見い出すのは、、
卯城 (笑)
平井 僕自身「どこにも属さないのが格好いい」なんてひねくれて、長いことフリーの立場でやってきたわけです。でも福島で目の当たりにしたのは、放射能や電力の問題は巨大すぎて、いくら一人でやっても「そういう問題じゃなかった」みたいな。
 だから、こだわって、趣味がちょっと違うなんていうことはどうでもよくて、もっと大きい枠で一緒になって、違う部分はそのまま認め合って進んでいかないと、できることがそもそもなくなってしまう。
 その時、人望の厚い事業家で、しかも「ホスト」なんていう面白すぎる業界にいる存在っていうのは、リアルに無限の可能性を感じます。

「すべては再生可能である 〜廃バッテリーの場合」。この作品を可能にした、東大阪から樋口武光先生のインタビューはコチラ

©平井有太 Courtesy of the artist and garter gallery, Tokyo. Photo by Yuki Maeda

卯城 だいたい、他ジャンルのぶっ飛んだ人と話した方が分かり合うまでが早いし、小さくまとまらないものが生まれてくる。Chim↑Pomの歌舞伎町の個展とかもそうで、せいちゃんの会社とやることで、実際全然意図してないことが起きるわけですよ。例えば演劇の人たちが観に来て、ホストの人たちがスタッフとして働いてるのを見て、まず「ホスト役の役者雇ってるのかな?」と考えたっていう。気にもしないから、そんなことまったく考えなかったでしょう?(笑)
 あとは、やってみたら、どの地方の芸術祭よりも自由に面白いことができる場が、意外と歌舞伎町だった。そういうのも新しい気付きだったし、今はむしろアート業界同士で、キュレーターと美術館とアーティストというわかりやすい構造でコラボレーションしていくことでは、新しい自由は生まれなくなってきている。規制も多いし、お互い周知の概念で物事を考えちゃいがちだから、ぶっ飛んだ化学反応も生まれにくい。色んな世界の面白い人たちとジャンルレスにコミットした方が、面白いものが生まれる。
手塚 さっき言ってた、「なんだかよくわからない状態が一番面白い」というのが、伝わってないと思うんだよね。結局は、取り扱い説明書があって、「これは桃太郎です」って言った方がみんな楽だから。「考えなくて済む」というのが、今すごい普通になってると思うな。
平井 せめて「自分で考えて、結果はなんでもいいから自分で選んで、せめて選んだ責任は自分でとろうよ」みたいな、「そこは頼む」って。
手塚 ちょっとインテリの人たちが「議論する場が少ない」とか言うのと同じというか、「自分で考える場がない」って思っちゃってるのって問題だよね。
卯城 大多数が、業界とか社会みたいなものが「ある一定のイメージで存在してる」って思い込んでるから、そのかたちの中で受け取って動いていくのみだと考えられていて。
 アートだって別に美術館や芸術祭じゃなくても歌舞伎町の展覧会みたいなことは出来ちゃうし。やれば出来るんだけど、そもそも、まず「それができる」という予感や確信に皆んな行き着かない。だから美術館やギャラリーからの話を待つみたいな小ぶりなアーティストばっかりが仕事待ちみたく待機しながら制度批判に勤しんじゃう。
 「選択していく」、「開発していく」のもそう。まず何かしら、大きな”できあがってるもの”からその一員として受け取るのことにはリスクがないけど、つまりそれはリターンもないってこと。でもそうじゃないところから、ちょっと違うことをやってみたら、リスクは出てくるけど、その実験精神から見たことのないものが生まれてくるし、新しい生活も登場してくる。
手塚 アートとは、実験精神、、?
卯城 アートが実験精神を失っちゃったら、デザインとかと本当に変わらなくなっちゃうというか。

平井 突き詰めると「生きること」がそういうことだから、それを普通にしたい。それをまた「実験精神」と呼んでしまうことで、「あ、彼は実験精神豊富だから」、「私にはないので、、」ってなるのが目に見えて、それは今までのイラつくパターン(笑)
手塚 そこも「楽だから」ということだと思う。
平井 今回Chim↑Pomから話をいただいたタイミングは絶妙で、おかげで、ある一定の意味で自分は福島で感じてきたこと、学ばせていただいたことの、伝達のためのまとめ作業ができた気はしてる。でもそこで「この次は、どうするの?」という質問を、何人かから受けました。
 展示の挨拶文から「生活が前衛」と言ってきて、じゃあ岡本太郎以外に「人生は芸術」ということを誰が言ってるかと言うと、明確にそれを言う団体があった。PL教団。
一同 (笑)
平井 長く、渋谷のNHK近くで、そのコピーが揚がっているのを見ながら脇を歩いてきたけれど、「次の方向は、あれか、、!」と。なので、そういうこともあって最終日クリスマスイヴのトークは、康芳夫さんをお呼びしつつ、今回の展示で重要だった神道、PL、大本教、オウムについて、宗教学者の島田裕巳さんをお招きして語るという、それをやって、未来に繋げます。

手前は、アイドルの出家で大忙しの島田裕巳氏。奥は現在、虚業家・国際暗黒プロデューサーとしてよりも、俳優として活躍中の康芳夫氏

卯城 なんだ、その最後のまとめ方(笑)
平井 でもPLに関して、康さんは勝新さんとも親友同士だったので、呑みの場なんかで昭和の偉人について「誰がホンモノでしたか?」と聞くと、「あれはすごかった」と、教祖の御木徳近さんの名前は出てくる。で、大本教にしても「日本に本当の宗教があるとしたら、大本だろう」って。それにしてもハードルの高い、次の展開、、
手塚 でも、こういうことを一回やっちゃうと、アーティストと捉えられて「え、それもアートですか?」みたいな、そうなっちゃうんだよね?
卯城 なるとは思うけど、有太マンさんは最初からそういう意識があってやっているからね。あえてそれを改めて展覧会にすることで、「アートというパッケージをした」ということはあるかもしれないけど、でも、変わらないと思います(笑)。
手塚 だからまた、いろいろなことをフィールドワークしたり、見たり、問題定義したりして、それをまとめると、それがまた展覧会になったりするんだよね?
平井 ここで卯城くんやせいちゃんの話を聞いてるのはもちろん、実際ここに「スーパーより安いから」って有機野菜を買いにくる近所のおばちゃんの物腰を見ても、そこにアートを見出すことがある。

 だから、その人その人の「アートをやってる」意識の有無が基準なだけで、日々の生活の随所に十分クリエイティブが潜んでる。それに、投票なんかは一番大きな機会くらいであって、実は本人が意識してないだけで、誰もがあらゆる瞬間に選択をしている。日々お金を払う先や、家にエネルギーがきている、コンセントの先。そこを認識しているかいないか。
卯城 そういうアート論みたいなものも、まとめてみたら面白いと思います。それこそボイスが言う社会彫刻もそうで、「アートとは何なのか」ということは常に再定義され、新しく解釈され、価値観が増えたりすることの連続だから。
 僕は今回そこに一番興味があった。だから、いつか読んでみたいですけどね。「有太マンが書くアート論」というか、「アートって一体何なのか」という普遍性を。
手塚 今回で十分、それを問いかけているようにオレは感じたけどね。「何がアートなんだ?」というのを、全部思ったけどね。
平井 一番大事なのは、それこそサステナビリティだと思っています。Chim↑Pomは見事に持続性の強さを体現していて、僕はたぶん、「じゃあ5年後、10年後どうなるの?」と、すでに問われているわけで。
卯城 スーパーフレックスとかは本当に、そういう意味での「確かに感」があって、あんなに続いてるアーティスト・コレクティブってないかも。キャリアがめっちゃ長くて、しかも毎年毎年面白いことをちゃんとやっている、という。やっぱり、やり口が「アートワークをつくる」ということと、「社会的なツールをつくる」ことが同じだからだと思うんですね。だからネタも尽きないし、自分の中から出てくるというよりも、現実社会からインスパイアされているし。
平井 あともう一つ勇気づけられるファクトがあって、これもボイスなんだけど「直接民主主義」の方で。それは、その時参加していた人たちがボイス亡き後も活動を続け、今の緑の党になっていくという。

平井が2011年夏、独の脱原発宣言の核心を聞きに仏でインタビューをしてきた、欧州緑の党代表(当時)ダニエル・コーン=ベンディット氏

卯城 誰かに聞いたけど、その時に植えた木が、世界で最初の並木道みたいな。
平井 しかも、緑の党のヨーロッパにおける存在の大きさって日本のそれとは比べものにならないというか、どこかで一国の首相がうまれるのも時間の問題という、今も影響力は強くて、その事実には勇気づけられる。
 それはアートの強度を示す、ただ「絵が一枚いくらになりました」とかっていうことじゃない、最高の例の一つだと思ってます。
手塚 そういう道筋はどうなの?アートが結果的に政治力を持つみたいな昇華の仕方というか、それは”変化”なのかもしれないけど、アートの延長上にあるものなのかな?
卯城 アートは本当に突然変異に対して寛容だから、どんなものが出てこようが、受け入れていくポテンシャルはあると思う。そこに、さっき言ったような「これはアートだ」という強い、その人なりの考え方があれば。そしてそれを納得する接点が、アートシーンにあれば。
 だから、どんなかたちになっても、さっき言ったようなお金に替えられるマーケット的な美術作品は今後も絶対強いし、ボイスみたいな社会実験みたいなことも「アートという意識」でやれば、そうなるし。
 その貪欲さがアートの面白いところなんです。

1ヶ月強のビオクラシー展をお酒でサポートいただいた、寛政2年(1790)創業の大和川酒造店。会津電力、佐藤弥右衛門氏の活躍からも目が離せない

 

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jose

卯城竜太(Chim↑Pom)/Ryuta Ushiro

Chim↑Pom 卯城竜太・林靖高・エリイ・岡田将孝・稲岡求・水野俊紀が、2005年に東京で結成したアーティスト集団。時代のリアルに反射神経で反応し、現代社会に全力で介入した強い社会的メッセージを持つ作品を次々と発表。映像作品を中心に、インスタレーション、パフォーマンスなど、メディアを自在に横断しながら表現し、世界中の展覧会に参加、さまざまなプロジェクトを展開する。近年は自作の発表だけでなく、同時代のさまざまな表現者たちにも目を向け、2015年アーティストランスペース「Garter」を高円寺にオープンし、キュレーション活動も行う。また、東京電力福島第一原発事故による帰還困難区域内で、封鎖が解除されるまで「観に行くことができない」国際展「Don’t Follow the Wind」の発案とたちあげを行い、作家としても参加、同展は2015年3月11日にスタートした。
著作に『Chim↑Pomチンポム作品集』(河出書房新社、2010年)、『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(阿部謙一との共編著、無人島プロダクション、2009年)、『芸術実行犯』(朝日出版社、 2012年)、『SUPER RAT』(パルコ、2012年)、『エリイはいつも気持ち悪い エリイ写真集 produced by Chim↑Pom』(朝日出版社、 2014年)、『Don’t Follow the Wind: 展覧会公式カタログ2015』(河出書房新社、2015年)がある。

jose

手塚マキ/Maki Tezuka

経営者/ソムリエ 中央大学理工学部中退後、歌舞伎町のホストクラブで働き始める。入店から一年後、同店のナンバーワンとなる。2003年に独立後、現在は歌舞伎町を中心にホストクラブ、BAR、飲食店、美容、ワインスクールと幅広い分野で活躍。
ホストのボランティア団体「夜鳥の界」を中心となって立ち上げ、「僕たちにできること」をテーマにホスト独自の社会的貢献を目指し、定期的に街頭清掃活動を行う。2015年2月には様々なカルチャーを紹介しているPASS THE BATON表参道店で、ホストクラブの文化を6000本の空き瓶を用いたアート作品で表現し、ホストクラブを無料体験ができるエキシビジョンを開催。2015年12月歌舞伎町商店街振興組合のビル建て替え計画に伴い、解体までの期間限定で「歌舞伎町の為になる事を」の街からの依頼で24時間ネット配信スタジオTOCACOCANを開設。

jose

平井有太/Yuta Hirai

http://chimpom.jp/artistrunspace/

 

(取材:ENECT編集部)
2016.12.15 thu.
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